11月11日「戸田中央総合病院ソフトボール部、早稲田大学人間科学部、ソフトボール部の連携を紹介します。」

  今日の午前中、学生アルバイトの力を借りて、この「理事長からのメッセージ」(中巻)」と「(下巻)の目次」を、125人の野球・ソフトボール関係者に送りました。

 その学生との作業中、戸田中央総合病院ソフトボールチームの話題で盛り上がりました。先週社会人DJリーグは終了。そこでの成績は10勝19敗。決して良い成績とは言えません。そのチームには早稲田大学ソフトボール部OG(TTA中級指導者認定資格保持者)が3名います。そこで、その病院と日本ティーボール協会なら並びに私とはどのような関係があるか、今日はそこを少し紹介します。

 私が戸田中央総合病院の「顧問」にして頂いたのは、1987年4月、35年前です。所沢に早稲田大学人間科学部が創立された年でした。それから2016年の大学を退職するまでの30年間、その肩書を頂きました。ではその30年間どのような繋がりがあったのでしょうか?

 1986年3月に「ハワイ大学客員教授」としての研究と教育を終え帰国、元々勤務していた早稲田大学体育局に戻りました。その年、体育局の心理学系の先生から「日本ストレス学会」を発足させるのでその「第1回シンポジューム」に身体活動系の講師として登壇してくれないかというお願い。その学会で医学の分野から参加されていた竹下先生。シンポジュウム終了後の懇親会で先生と意気投合しました。これからは「心理的なストレス研究」だけでなく「スポーツ医学の研究」も一緒に行っていこうと。

 学会後に、竹下先生は大学の同級生である安達正夫先生を紹介して下さったのでした。先生は、当時東京医大講師で戸田中央総合病院の内科部長。当時から戸田中央総合病院のソフトボール部は、社会人チームの強豪の一つでした。そのご縁で早速そこの監督から、特別コーチをお願いされ、指導。その事実を知った戸田中央総合病院中村隆俊理事長兼病院長(現日本ティーボール協会顧問)は、グラウンドにお見えになり、練習後は楽しい会食会。そして、1年も経たない1987年に、医師でもない私をこの病院の「顧問」にして下さったのでした。

 顧問に就任後、1989年1月に先日「探偵ナイトスクープ」で紹介した「図解コーチ ソフトボール」(成美堂出版)を世に出したのです。当時では、10冊目のソフトボールの指導書。その書籍のモデルは、男子は私と早稲田大学ソフトボール同好会(部の前身)選手。女子は戸田中央総合病院のソフトボール選手。戸田中央総合病院選手には、投手、捕手、内野手、外野手、打者等の連続写真でモデルになって頂きました。

 この指導書も、多くの方にお読み頂きました。本書で、印象に残っているのは、吉田勝光先生から「先生!この本は技術書として、非常に良いですよ。モデル(戸田中央総合病院の選手)が良いですね」とお電話を頂いたことです。吉田先生は、ご存じのよう「公認指導者資格取得用必修科目『スポーツ・コンプライアンス概論」』」の講師。当時からソフトボールのウインドミル投法を用いてのピッチングには定評がありました。名投手でした。

 以前、ここでも書きましたが、私の大学での研究テーマの一つが、「喘息児のための運動療法」で、20年近く研究と教育を続けました。この研究の対象者は、この病院の「アレルギー外来の患者さん」でした。この担当医が、安達先生。この日本ティーボール協会創設した時の常務理事。この安達先生も一時期、戸田中央総合病院ソフトボール部の部長をお務めになったこともありました。

 以上のように、戸田中央総合病院と日本ティーボール協会、更には早稲田大学人間科学部、ソフトボール部とも繋がりは長いです。その関係で「文部科学大臣杯争奪全国小学生ティーボール選手権」では、毎年センター後方に大会中、救急車が待機して下さっているのです。昨日に書いた二人の選手も技術指導に来てくれていたのです。

 今日は、午前中の学生との話の続きでこの戸田中央総合病院ソフトボール部と早稲田大学人間科学部とソフトボール部との繋がりを紹介しました。

 来年は、戸田中央総合病院ソフトボール部の勝ち負けが今年の反対、19勝10敗になるように願っています。3人の卒業生! 投手、守備、打撃で、頑張れー。 現役の選手と一緒に応援していますよー。