11月29日「週末、ヤクルト20年振りの日本一。 京都パープルサンガ12年振りのJ1復帰。おめでとうございます!」

 「絶対大丈夫」のヤクルトが、日本一になりました。試合終了前から、青木選手らが目に涙。オリックスに勝ち、20年振りの日本一、誠におめでとうございます。青木選手!本当に良かったですね。 高橋奎二投手も!

 日本ティーボール協会の役員でヤクルト関係者がいないかな・・・。おられました。顧問の徳武定祐氏、坂巻豊氏、おめでとうございます。徳武さんは、全国大会、健康福祉大会、東京オープンティーボール大会と多くの大会で、「バッティング指導」を、また、日本ティーボールセミナーでもご講演を頂きました。大功労者のお一人です。徳武さんは早実では醍醐さんと同級生、勿論荒川先生の後輩です。次に、坂巻さんは、プロ野球OB会で、一緒に理事を務めました。大好きな先輩です。高校や大学は違いますが。坂巻さんは、子どもの野球指導にとても熱心で、また大変な人格者です。日本ティーボールセミナーでもご講演を頂きました。現在でも神奈川県連盟主催のティーボール大会には、「バッティング教室」の講師をお務めになっています。頼住事務局長からその貢献は、極めて「大」であると聞いています。この12月26日の小学生全国大会でも、お越しになるようで、お会いするのがとても楽しみです。国鉄・産経・ヤクルトといっぱい話を致しましょう。

 お二人の喜びは、如何ばかりか・・・。本当におめでとうございます。

 現役で、大活躍の高橋奎二投手、青木宣親選手、おめでとうございます。

 次はサッカー。12年振りの快挙。京都がJ1復帰を果たしました。就任1年目のチョウ・キジェ監督のハードワーク采配が光りました。最近気が付いたのですが、チーム名は「京都パープルサンガ」とは、言わないのですか。以前は、確かそのように呼んでいたと思うのですが。新聞には「京都」だけしか表記されていませんが。さて、「パープル」は、「紫」という意味です。なぜ京都のチームに「パープル」という名前が付いたのを皆さん知っておられますか。「パープル」は京都学芸大学の「紫色・スクールカラー」なのです。京都には、その昔、「紫光クラブ」というアマチュアのサッカーの強いクラブチームがありました。そのチームの選手のほとんどが、京都学芸大学サッカー部OBでした。強かったです。それが土台となり、京都にプロチームが出来たので「京都パープルサンガ」です。ひょっとしたら京都の地域カラーも「紫」かもしれません。東京都新宿区の色は「緑」かな。

 私は、サッカーのことは詳しくわかりません。京都のこともかなり忘れました。京都を離れてもう58年近くなりますからね。もし私の記憶が間違っていれば、協会事務局までアドバイスください。すぐに訂正いたします。

 実は私は、1971年の秋から1972年の冬迄の1年半、「京都紫クラブ」という教員ソフトボールチームで投手で4番としてプレーしたことがあります。留学から帰国して、大学院に行くまでの間です。全国教員ソフトボール大会では優勝は出来ず、悔しい3位でした。そのチームも「紫」。即ち、京都学芸大学の野球部OB達が創ったチームだったのですが、私は特別にそのチームに入れてもらいました。したがって、私は、「紫・パープル」という文字には、特別の思いがあります。京都で、日本ティーボール協会京都連盟で、長らくご活躍頂いた橋戸良行先生もこの「紫クラブ」出身です。「京都パープルサンガ」、来年のJ1での活躍、この東京の地から応援しています。ガンバレ!  今日は大変忙しい日でした。12月26日の全国大会の「冊子作り」の本格スタートだったためです。頼住事務局長もいつもより1時間長く事務所にいて、お互い密度の濃い仕事を(ボランティア)を行いました。今日は、最後にちょっとだけの「事務局通信」です。