2月20日 1985年スタンフォード大学構内でお花を買いました。幸せを呼び込みました。佐々木鱗太郎選手もお花を構内で買いませんか。

 今日はスタンフォード大学についての思い出話です。

 1985年の夏、私はロスアンジェルス郊外のあるレストランにいました。一人旅だったのでカウンターの前のスツールに座り、果物が山盛りあるヘルシーな朝食を摂っていました。そこでコーヒーを美味しく頂いているその時です。下から私をのぞき込むようにして、「ミスター・ヨシムラではないか?」というのです。「えっ?」、「オー・イッツ・ユウ(あなたは?)」「マット・リフキンさんのお父さんではないですか」。何でこのロスアンジェルス郊外の果汁園に?アンビリーバブル。

マット・リフキン氏のお父上の自宅は、ニューヨークか、サンフランシスコか、東京か、イスラエルのいずれかです。それらの都市でなく、ロスアンジェルス郊外のレストランでお会いするなんて考えられません。地球はそんなにも狭いのか?

 このときの再会は本当に偶然でした。

マット・リフキン氏のご両親は、東村山の我が家にお越しいただいたこともあり、顔見知りではあったのですが・・・。

 さて、マット・リフキン氏とは、日本ティーボール協会設立当初の「国際委員」。後に日本ティーボール協会評議員として活躍されました。スコット先生とは、早稲田大学の同級生。アメリカに帰国される直前までの職場は、ゴールドマンサックス。そこのバイスプレジデント(副社長)でした。日本語が堪能で、スコット先生が来日当初、学生でまだ日本語が十分に話せない時に通訳をしてくれました。

彼はニューヨークロチェスター大学の卒業生、そのためかニューヨークヤンキースの大ファン。松井秀喜選手がヤンキースに入団した時の通訳候補として、最終面接まで残った人でした。

私は、彼の日本での後見人。お父上の職業は、IBMの重役さん。彼が丸紅アメリカを退社して再び日本に留学、その時「後見人」が必要でした。お父上から「先生には、絶対に迷惑を掛けないから『後見人』引き受けてください」と。マット・リフキン氏はとても信用できる素晴らしい学生でしたので、二つ返事でOKをしました。

さて、その朝食会場で、お父上から今後の予定を聞かれました。私は「1週間後にロスアンジェルスからサンフランシスコへ、そしてスタンフォード大学に行きます。その後ホテルに戻る予定です」と答えました。「では、そこのホテルでお会いしましょう」と言って、その場を離れました。

サンフランシスコでお会いする当日は、車で夜景を見学した後、お父上のご自宅に招待されています。奥様に何か気の利いたお土産が必要だと考え、スタンフォード大学構内で様々グッズを探しました。なかなか良いものが見つかりません。どうしようかと思案していた時に、ありましたね、花屋さんが、構内に。「これだ!」、幸せを運ぶ「お花」が。

花を買い、サンフランシスコに戻るときの心地よい気分、この花を奥様に差し上げたら、どんな顔で受け取ってくださるだろうか?想像しただけで楽しくなりました。

約束の時間に、ご夫婦が車で私のホテルまで来て、私をピックアップ。夕方からサンフランシスコの夜景を満喫しました。ケーブルカー(路面電車)の横を、我々が乗った高級車が通ります。私の英語は拙いですが、ご夫婦との会話は成立しています。

そこで突然、お父上から「ミスター・ヨシムラ、今日は私の息子マット・リフキンの誕生日なのですよ」。私は、「エッ!リアリー(本当ですか)」。今日は「ミスター・ヨシムラを息子の代わりにして、お祝いをしてもいいですか!」だって。「シュアー、シュアー(はい、はい)」でした。

偶然が重なりましたね。ロスアンジェルスでの朝食、サンフランシスコでの夕食会。マット・リフキン氏の誕生日。奥様へのお土産として買ったスタンフォード大学構内の花屋。

以上が1985年、スタンフォード大学出張前後の出来事でした。

今から約40年前の思い出ですが、これらを鮮明に記憶しています。

佐々木鱗太郎選手!スタンフォード大学構内でお花を買うと幸福を呼び込めるかも。