2月26日「ティーボール北の甲子園」大会の紹介と中村薫理事の活躍

 今日は、2月26日。226事件。社会の教科書で様々学びましたね。

 3日前の2月23日、我々の仲間である中村薫理事(大会事務局長)が中心となって開催される「第26回『赤い羽根』ティーボール甲子園大会北海道知事カップ」が開催される予定でした。これも今年は残念ながらコロナの影響で中止。この1月12日にその決定の通知を頂きました。残念です。本来であれば札幌ドームを一日借り切って素晴らしい大会を開催されるところでしたのに。

 今日はこの大会において私の知る限りのことを皆さんにお伝えしましょう。

 この大会は、1995年10月に「北広島ティーボール知的障害者大会」としてスタートされました。主催者は大会名が示すように北広島にある「ウイン北広島」野球チーム(中村薫監督)が中心となって始められたのです。日本ティーボール協会がスタートして2年目の1995年と言えば、日本協会では、1月に第2回日本ティーボールセミナー、4月にセ・リーグビッグトーナメント(於・岡山マスカット球場)、7月に東京オープンティーボール大会(於・明治外苑野球場)(荒川先生はこの時初参加です。その後偉大なご貢献を頂きました)、8月は埼玉オープンティーボール大会(於・西武ドーム)(この大会が後の全国小学生3・4年生ティーボール大会となりました)、更に同じ8月に喘息時のためのティーボール大会(埼玉・本庄市)と第1回沖縄オープンふれあいティーボール大会(糸洲朝則副会長)、関東オープンティーボール大会(於・千葉マリンスタジアム)、第1回神奈川オープンティーボール大会(頼住道夫大会事務局長)と立て続けに大会を行ったときでした。その10月に北海道で中村薫理事たちは、この知的障害者のティーボール大会をスタートされたのです。

 後日、中村薫理事にこの日本式ティーボールをどのようにして知りましたか、と質問したところ、それは社会人野球連盟の山本英一郎さんからだとのことでした。そういえば北広島の野球チームはクラブチームとして社会人野球連盟に所属されていたのです。

 2・3年たって我々と親しくお付き合いさせて頂くことになりました。

 1999年、上記の大会名を「『赤い羽根』ティーボール北の甲子園大会」に改称し、第5回大会を開催されたのです。その翌年2000年私は「スポーツと福祉」というタイトルで、確か北広島の総合体育館で講演させて頂きました。それ以降2003年には、中村薫理事は、「第10回記念日本ティーボールセミナー」の講師として、「地域スポーツとティーボール」というタイトルで見事な講演をして頂きました。その後、久保田常務理事の養護学校のソフトボールチームが北海道のこの大会に参加したり、朴さんの韓国代表チームや陳先生の中国チームがお世話になったりと我々日本ティーボール協会やアジア連盟との関係はより親密になっていきました。

 現在というか、2年前の第25回大会では、特別支援学校のチームが8チーム、知的障がい者施設チームが24チーム、小学生選抜等が47チーム出場されての大会になっています。大会会場が札幌ドームということもあって、北海道では物凄く魅力的な大会になっています。中村薫理事の情熱と野球に対する「愛」からきています。いつもリスペクトしています。

 この大会に出場を希望する選手は本当に多いのです。これが今年コロナ禍で中止となったのです。準備をされていた中村薫理事初め関係者のことを思うととても辛く残念に思います。

 今年は、ワクチンが夏頃には日本各地で行きわたること、この大会がこの年末か年明けに開催できようになることを願っています。

 今日は「赤い羽根」ティーボール北の甲子園大会のごくごく簡単な紹介と中村薫理事の奮闘、活躍の一端を紹介させていただきました。

 中村薫さんコロナに負けるな。いつも東京から応援していますよ。