2月27日「吉葉山が橋本聖子組織委員会会長の親戚?」

 1年前の今日は前首相が、小中高校と特別支援学校に、臨時休校を要請した日です。もうあれから1年か。この1年を思い出すとため息が出ます。皆さんは如何ですか。

 今日はJリーグ開幕の明るい話題を皆さんに提供しようと考えていましたら、今日の日刊スポーツの20面を見て、サッカーは後回し。その見出しは、以下の通りです。

 「聖子会長の父の弟の妻の姉の夫は第43代横綱吉葉山」

とあるのです。実は私小学生の頃、プロ野球は中西太(西鉄ライオンズ)、大相撲はこの吉葉山の大フアンだったのです。何十年振りでしょうか「吉葉山」が新聞に載るなんて。嬉しくて今童心に帰っています。今日はサッカーを書くのはひとまず延期にして、あまり詳しくない相撲の話、思い出話を書かせてください。

 私が吉葉山を好きになった理由はあの顔や体形の美しさだけでなく相撲のキレかな。詳しくは忘れました。兎に角好きでした。その時代、横綱と言えば吉葉山以外に鏡里、あのお腹が丸いあんこ型。千代の山、背が高くて少し顎がしゃくれて、突っ張りがめっぽう強い。東富士は相撲ではあまり記憶にありません。しかし、横綱を引退した後、親方にならずにプロレスラーになって、力道山や遠藤幸吉、吉村道明なんかと戦っていたのを記憶しています。そうそう、次のような思い出もあります。あの時代東映の映画が全盛でした。その時、若い美男子でさっそうと登場したのですが、その名が「東千代之助」。こんな漢字だったかな。これは横綱の東富士と千代の山の二人の名前からとった芸名です。その他では、朝潮太郎奄美大島出身、長身で胸毛が濃くい大関。彼も強かったです。そして、皆さんがよく知っている栃錦、若乃花いわゆる「栃若時代」は吉葉山の後の時代です。

 小学生の頃は、第4代横綱谷風カジノ助(漢字忘れました)、大関雷伝為衛門(漢字これでいいのかな)等の伝記もよく読みました。

 その中での吉葉山、お相撲さんなのに物凄い男前、そして強かったです。彼は早くに引退して、第8代宮城野親方になりました。その後はあまり知りません。後継者に強い力士がいなかったからですかね。

 例えば、千代の山は、いまNHK です相撲解説されている元横綱北の富士の師匠、その北の富士の弟子があの名横綱だった千代の富士、その後援会長は岐阜の千代菊のという銘酒の社長坂倉又吉さんだったと記憶。千代・千代・千代。横綱・横綱・横綱と繋がると記憶しますがね。宮城野親方のラインはあまり知りませんでした。

 明後日事務局長の頼住さんに聞いてみよう。彼は相撲に関しては凄くよく知っていますから。

 相撲の話はこれくらいにします。もうこれ以上書くとボロが出ます。

 さて、吉葉山の親戚の橋本聖子会長、これから5ヵ月本当に大変ですが、その時々で最善の判断を宜しくお願いいたします。

 橋本会長のマネジメント力、統率力、決断力、調整力、政治力、ハート様々な能力が必要とされます。お手並み拝見です。私もこの日本ティーボール協会でその時々の橋本会長の一つ一つの決断について学ばせていただきます。

 吉葉山の親戚、橋本聖子会長頑張ってください。