4月23日 大谷翔平選手が松井秀喜選手のメジャー通算本塁打数を更新。同時期に大谷選手がフランスの大手スポーツ雑誌「レキップ」の表紙に!

 昨日、大谷翔平選手が、メジャーリーグにおいて176本目の本塁打を打ち、日本人メジャーリーガーとして単独トップに立ちました。12日のパドレス戦で175本目を打ち、松井秀喜選手と並んで以来、18打席ぶりの本塁打でした。とスポーツ紙の一面を飾っても誰も驚かなくなりました。これって、皆さん!本当は物凄いことなのですよ。

 このタイミング(日本時間14日)で私が最も驚いたのは、大谷選手が、フランスの大手スポーツ雑誌「レキップ」の表紙を飾るというニュースでした。あのフランスで、野球が?という感じです。フランスでは、野球やソフトボールは普及していません(ある時を除いて)。というよりも、現在では極めて認知度が低いといっても過言ではないでしょう。大谷選手がプロスポーツ史上最高額7億ドルという歴史的な数字でドジャースと契約を結んだことに対して、バーロン記者が大谷選手の記事を書きたいと決断したからでしょうか。

 フランスで野球といえば、元阪神タイガースの吉田義男監督を思い出します。彼は阪神タイガースを退団後、1989年から1995年までフランス代表チームの監督でした。フランスではムッシュ吉田氏として有名で、フランス野球・ソフトボール連盟の名誉会員に日本人として初めて選ばれたのでした。

上記(ある時を除いて)は、吉田監督が指導していた時を除いて、という意味です。

吉田氏は私の京都の実家の近くで生まれ成長されました。山城高校では、第32回全国高校野球選手権大会に出場、その後立命館大学に進学され、1年生で大学を中退してプロ野球の世界へ。次兄も私も地元の英雄吉田選手の大ファン。あの国鉄金田正一投手が大の苦手とした打者でもありました。また、当時は「今牛若丸」と言われ、阪神タイガースの三宅選手、吉田選手の三遊間か、読売ジャイアンツの長嶋選手、広岡選手の三遊間どちらの守備が上手か、よくお茶の間の議論になりました。

1985年の阪神優勝、バース、掛布、岡田の三者連続バックスクリーンへの本塁打は今尚語り草ですが、その時の監督が吉田氏。

吉田氏がフランスで野球の指導を行っておられる頃、私は1998年静岡県富士宮市で、I.S.F.(世界ソフトボール協会)第9回世界女子ソフトボールチャンピオンシップ大会開催を裏方の一人としてお手伝いしたことがあります。通訳と海外からのチームのお世話が主でした。

I,S,F会長ドン・ポーター氏と私は、私がアメリカでプレーしていた時からの友人。その関係で彼の世話役。また、海外チームのお世話と指導。その時の一つの国がフランスチームでした。良い選手が沢山いたのを覚えています。

当時、2012年の五輪がどの都市で開催されると野球とソフトボールは存続するか、あちこちで議論になっていました。私はフランスのパリを全面的に応援。それは前述した通り、吉田氏がフランス代表監督、そして私が認めるフランスソフトボールチームの強さ、メダルも取れそうな勢い。一方、イギリスの国技はクリケット。その用具やルールを変えてしまったのが野球やソフトボール。イギリス国民はこれを快く思っていないかもしれない…と感じていました。

2012年の五輪がもしロンドンに決まったら、野球とソフトボールはオリンピック種目から除外されるのは間違いないだろう。しかし、パリだと継続される可能性は高いだろうと。ロビー活動をあちこちで行いました。開催地がロンドンに決まったら、案の定、野球とソフトボールは競技種目から除外され、イギリスが育ててきた近代五種が新たに採用されたのでした。これにより、パリだけでなく欧州全域で広がりつつあった野球とソフトボールの芽は摘まれていったのでした。

そこで今回の大谷選手の記事。日刊スポーツによると、バーロン記者は、「フランスで野球に関心がある人なら、ヤンキースのアーロン・ジャッジ(アメリカンリーグのシーズン記録保持者)を知らないけど、ショウヘイ・オオタニ知っている」と。

大谷翔平選手が30年前に現れていれば、2012年のオリンピックの開催地はどのように判断されたでしょうか。また、今年のパリ五輪は、当然のように野球とソフトボールが競技種目として残っていたのではないでしょうか。

大谷翔平選手がメジャー通算本塁打数を更新、加えて、「レキップ」の大手スポーツ雑誌の表紙になったことについて、フランスでの過去の野球とソフトボールを思い出しました。