5月15日「韓国(在日韓国人を含む)には、親友がいっぱいいます。韓国ティーボール協会の益々の発展をお祈りします。」

 2020年1月18日、早稲田大学国際会議場において、「第27回日本ティーボールセミナー」を開催しました。その基調講演Ⅱにおいて韓国ティーボール連盟副会長の徐相玉先生は、パワーポイントで資料を見せながら、韓国ティーボールの歴史を次のように紹介しました。

 ●1988年 徐相玉、日本国費留学(日本体育大学、中京大学で修学)

 ●1998年 丸山克俊日本ティーボール協会専務理事 韓国訪問 <ティーボールへの誘い>

 ●1998年 韓国ティーボール協会創設 初代金会長就任

 ●2001年 韓国ティーボール協会創設 2代曹会長就任

 ●2005年 全国小・中学校ティーボール講習会 開始

 ●2006年 ティーボール指導書発刊

 ●2008年 金泳三前大統領、韓国ティーボール協会 総裁就任  ・小・中学校体育教科課程にティーボール導入  ・第11回日本全国小学生ティーボール選手権大会へ派遣

 ●2010年 アジアティーボール連盟創立 ・第1回アジアティーボール大会開催(日本・東京) ・ティーボール指導者・審判講習会開催

 ●2011年 第2回アジアティーボール選手権大会(韓国、ソウル)

 ●2012年 社団法人韓国ティーボール協会 第3代金会長就任  ・全国学校スポーツクラブティーボール大会開催

 ●2013年 第10回韓国ティーボール協会長杯全国小学生ティーボール大会開催

 ●2014年 国会議長賞女子中学生ティーボール大会開催(国会議事堂)

 ●2015年 ティーボール1級審判研修会開催

 ●2016年 社団法人韓国ティーボール協会 第4代孫会長就任  ・第13回韓国ティーボール協会長杯全国小学生ティーボール大会(国会議事堂)

 ●2017年 ソウル特別市教育監杯ティーボール大会開催

 以上原文のまま

 更に、ティーボール大会は、小学校(男女)、中学校(女子)、大学校(男女)小・中・高校(男女)に広がり、用具については、韓国内で製造、そして販売している。また、独自に、中国へもこの日本式ティーボールを普及させに行ったことがあるとも発表されました。そして最後は、日本ティーボール協会への感謝を示され、ご自身では、もっともっと韓国で普及させたいという思いを熱く語られました。 2020年1月18日(土)のことでした。

 2006年11月14日、アジアティーボール連盟を創設する4年前に、私は徐先生に、近々「アジア連盟を創設するつもりです。ついては、韓国ティーボール協会を創設して8年目を迎えるこの年に、今までの歴史を日本語で紹介してくださらないか」とお願いしました。そこで送られてきたのが、以下の紹介文です。

 「日本から紹介された野球型ニュースポーツ、ティーボールは、韓国で8年目を迎えた。その間の普及・指導の効果もあって、2008年からは、小学校、中学校の正式な教科でも取り入れられるようになった。そして、韓国プロ野球を仕切る韓国野球委員会の積極的な取り組み入れと援助によって、小学校、中学校にティーボールセットを無償で配り、体育の授業の一環として積極的に展開するようになっている。さらに、軍隊における新しいプログラムとして、ティーボールセットを寄贈している状況である。」(原文のまま)

 この時の韓国ティーボール協会の会長が曹先生、ソウル大学の教授で大変な紳士で、人格者。副会長がこの執筆者(紹介者)の徐先生。専務理事が、徐先生と同じく日本体育大学で学ばれた朴先生でした。現在、徐先生と朴先生のお二人は、別々の立場で日本式ティーボールの普及活動を行っておられます。

 最後に、この曹先生、徐先生、朴先生の3人が知らないところでの、私が知り得る、日本と韓国のティーボール交流を紹介します。

 私は、日本式ティーボールをアジアに普及したい、また、地球上の野球・ソフトボール文化の無い国々に広く普及したいと常々思っていました。そこで、1993年11月22日、日本ティーボール協会創設記者発表会をした後、次の大きな仕事は、4か国語のルールブックを刊行すること。それも、完璧な言葉で英語と中国語と韓国語に翻訳せねばならないと思っていました。

 日本語のルールブックを最初に刊行したのは、1993年11月22日、記者発表会に間に合わすためでした。それから約2年にかけて、日本語、英語、中国語、韓国語のルールブックを翻訳したのです。

 韓国語は、1994年の冬、私の留学時代(ハワイ・ホノルル・ビジネス大学)の同級生の水上君(初代日本協会理事)にお願いしました。彼の義理の兄上が韓国の某大学の学長先生、先生に翻訳をお願いしたのです。水上君と学長先生は快く引き受けてくださいました。当時日本には、所謂ハングル文字のタイプライターがなく、お二人の好意に頼ったのでした。

 完成させた4か国語の「ルールブック」は、私の韓国の友人、水上君の韓国の親戚や友人、それに学長先生とその友人等に数百冊、韓国に送りました。

 その影響か、1996年2月25日、東京都世田谷区立池尻中学校で開催したティーボール大会に、韓国からTV取材が入りました。その説明役が、水上君と私。その後、1997年韓国の「BASEBALL」という有名な野球雑誌の156と157ページの見開きで「TEE-BALL」の記事がカラーで大々的に掲載されました。そこには、早稲田大学小山宙丸総長と私が海部俊樹元総理大臣に日本ティーボール協会の会長就任のお願いに行った写真。その横には、第1回沖縄オープンティーボール大会の試合風景が掲載されたのでした。

 日本式ティーボールが、このように韓国において広く普及したのは、徐先生と朴先生のご努力とご貢献が極めて大きいと言えるでしょう。私には、次のような思い出があります。この徐先生と朴先生の取り計らいで金泳三元大統領閣下のご自宅に招待され、日本語で大変な歓迎を受けました。一生の思い出です。ティーボールのバットとボールにサインも頂きました。これは今、東村山の事務所に飾ってあります。事務所に来られたらご覧ください。

 その数年後、金泳三大統領閣下が、早稲田大学にお越しになり、その案内役を務めました。とても光栄なことでした。これも日本式ティーボールの普及活動に全力投球していたおかげでした。

 私は、韓国の友人がとても多いです。勿論、在日の韓国の友人も。筆頭は中学時代からの親友平山君、彼は1993年11月の記者発表会も京都から駆けつけてくれました。朴君、安井君、名前を挙げればきりがないです。韓国に関しては、良い印象、良い思い出ばかり。皆さん。ありがとうございます。今後とも宜しくお願い致します。