6月10日「ペルーの大統領選挙で、西村先生、知念先生を思い出す」

 昨日の朝日新聞の国際面にブラジル・サンパウロ岡田玄記者から、ペルー大統領選の記事が来ていました。記事によると、小学校教員で組合活動家の急進左派ペドロ・カスティージョ氏がわずかの差でアルベルト・フジモリ元大統領の長女で野党党首の中道右派ケイコ・フジモリが追う。選管発表によると、開票率96.43%、カスティージョ氏が50.29%、ケイコ氏は49.71%。ただ国外に住むペルー人約99万人分の開票が一部しか進んでいない。とのこと、近々決着するのですね。

 このような記事が、我々にはとても身近です。その理由として、三つあげられます。先ず一つは、元大統領が日系人であったこと、その長女が再び大統領候補であること。

 二つは、ここ協会事務所のある東村山には「ペルーの野球を支援する会」があって、地元の野球好きの有志がいつもペルーを応援されていること。東村山の隣に東大和市があります。高校野球では以前「都立の星・東大和高校」、あの佐藤道輔先生の著書「甲子園の心を求めて」で有名になったところです。その教え子さんが、青年海外協力隊・野球隊員でペルーに行かれて、この「支援する会」が今もって地元東村山・東大和で頑張って活動されているのです。私の友人もこの会に入会して活動してます。

 そして三つ目は、ペルーの小学生ティーボールチームが2018年第9回アジアオープティーボール大会に参加してくれたのは記憶に新しいところです。そのチーム名は、皆さん覚えてますか?「ラ・ウニオン日本人学校」です。その引率責任者は、西村一哉先生と知念誠先生、西村先生は早稲田大学ソフトボール部出身で主将(大嶋匠と同級生)から青年海外協力隊でペルーに教師として参加、その彼の情熱で、このチームを西武のメットライフドームに連れてきてくれたのです。もともとこの大会はそれまで「アジアティーボール交流大会」と称していましたが、ペルーを受け入れることで「オープン」という名にしました。

 ここでその時の選手の名前を何人か紹介します。ルイス・キヨミ、ガルシア・エミ、キシモト・アルメンドラ、オオシロ・アイリ、シマブクロ・ナツミ、ジョントップ・ディエゴ、ウアマニ・ファビアン、ウリベ・ファビオラその他計14名の小学生で、なんと全て女性です。よく来てくれました。よく保護者の方が、日本行きに同意してくださいました。よく西村先生、決断したね。これは物凄いこと。信じられないことです。英語でいえば、アンビリーバブル。少女たちは最高の思い出を残して、帰国したと報告を受けています。若く魅力的で、情熱のある西村先生が動いて、それを理解する保護者がいて、後援者がいて、仲間がいて、その決断についてくる小学生がいる。これは国際交流だけでなく国際一大教育です。

 私は、10年間に毎年学生を1・2名ブラジルに派遣しました。乗り換え時間を加えると片道24時間前後かかります。ペルーも同じです。遠いです。アメリカにも19回早稲田大学ソフトボールチームを連れて行きました。2010年、デモインで開催されたU23ワールドシリーズで優勝した時の主将はこの西村先生です。彼はその経験があったとしても、連れてくるのが大学生でなくて小学生です。その上、ペルーはそんなにベースボールとソフトボールは盛んではありません。あのアジアオープン大会から3年たった今、それを振り返っても物凄いことをなされたと感心しきりです。周りの様々な応援があってのことでしょう。彼は今日、本協会の理事、そして伊勢崎市で特別支援学校の先生をしています。彼が今度役員会で伊勢崎から東京に出てきたときに、その苦労話をゆっくり聞いてみたいです。多分彼は伊勢崎行の終電に間に合わなくなるほどその苦労話をしてくれるでしょう。彼にとっての満足感、克服感、物凄いものがあったからと思えるからです。

 この西武ドームに参加した小学生女子ティーボール選手達が、ペドロ・カスティージョ氏かそれともケイコ・フジモリ氏のどちらが大統領になったとしても、ペルーで幸せな人生を送ってほしいです。そしてペルーと日本の架け橋になってほしいです。引率責任者であった西村一哉先生も知念誠先生を願っておられるでしょう。

 私は、ペルーの小学生の夢を実現させた西村一哉先生、知念誠先生に対し心から敬意を表します。