6月25日 ブラジルへは「野球ソフトボール五輪復活プロジェクト」から。その後、小学校へ日本式ティーボールの普及を図りました。

 2009年12月1日(火曜日)のブラジル「ニッケイ新聞」の見出しは「ティーボールを児童教育に」「サ・アンドレ―で人気上々」「成績上がって、喧嘩減る」でした。

 そこでの内容を紹介すると、「ジャンケンポン!お願いしますー。支柱の上にゴムボールを置いて、バットで打つゲーム『ティーボール』がサントアンドレ市の小学校で大人気を集めている。試合開始前、先攻・後攻を決める手段は冒頭にようにジャンケンをし、日本式に礼をする。同競技は野球に似たスポーツだが、同校では、男女、年齢関係なく全校生徒で楽しむことができ、学業成績は前年比120%アップ、日常茶飯事だった喧嘩も激減するなど、思わぬ効果を上げている」というもの。

 次の見出しが、「野球人気につながるか」。

 その内容は、「11月25日、聖州野球連盟の沢里栄志オリビオ会長ら、野球・ソフトボール関係者が同市にある州立レベルンド・シモン・サーレン小学校を訪れ、元気いっぱいの「球児」たちの様子を取材した。(略)同校で指導し、ティーボールの普及に努めているサンベルナルド・ド・カンポ野球クラブ(ジョゼ・ボアス会長)のクハハラ・アントニオ・クニオ監督によると、早稲田大学人間科学部教授で日本ティーボール協会の吉村正理事長と沢里会長の縁で、野球の底辺を拡大し力をつける目的で、ブラジルにティーボールが伝わった。」(略)マルシア・カンポス校長によると、『集中力がつき、落ち着くようになった。また、チームプレーなので、協力、話し合いをするようになり、喧嘩も減りました』とのこと。

 この記事は、ブラジル野球・ソフトボール協会副会長のオリビオ・沢里氏が送ってくれました。その送り状には、以下のように書かれています。

 「吉村先生、ご無沙汰いたしています。サンパウロ近郊のサントアンドレ市の小学校で、1人も日系人がいない学校で、吉村先生のTballをスタートいたしました。約600人の生徒が参加しました。その時、取材に来た日系新聞の記事をお送り致します。沢里」

 この上記の記事の2年前、3月10日「ニッケイ新聞」の記事を以下に紹介します。

 見出しは、「ブラジル女子ソフトを強くしたい」「“世界一”の総監督、吉村さん」「指導、充実した11日間」「『リオ五輪』があれば正式種目の可能性」。

 記事の内容は、「『もの凄く充実した十一日間でした』。二月二十三日に来伯して以来、ソフトボールの女子代表チームに付きっきりで指導にあたってきた早稲田大学ソフトボール部総監督、吉村正氏(61)は六日帰国する直前、そう感想を述べた。吉村氏は早稲田大学の男子ソフトボール部を〇五年世界大会で優勝に導き、本人も最優秀監督賞を獲得した“世界一”の総監督だ。」

 次の見出しは、「5月、3選手を日本に招く」。

 内容は、「『日本で世界一のピッチャーに育てたい』。世界一流の投手を育てる指導者が現地に不足していることを考慮した同総監督は、五月十六日から六月三日まで、女子伯国代表のピッチャー3選手を日本に招くことを決めた。リオで開催されるパンアメリカン大会直前のタイミングであり、さっそく何らかの結果が出るのではと、関係者の間では、期待が高まっている。

 (略)「『ピッチングを良くしたら、次はバッティング』。同総監督は、二〇一六年を見据え、一〇年越しで伯国ソフトボール界を底上げする体制を考えている。『日系だけでなく、混血や非日系選手も混ざって戦った方が世界一を狙いやすい』」。さらに、帰国後は実業団チームを持つ企業に、支援を依頼して回るという。」

 (略)「ここまで、肩入れする背景には遠大なる計画がある。リオで開催される可能性が高いと言われる二〇一六年五輪で、もし女子ソフトがメダルをとれる可能性があれば、伯国政府は野球とソフトを正式種目に戻す(二〇一二年ロンドン大会で外れる)ように五輪委員会に働きかけるようになるはず、との読みだ。」

 以上が、当時の記事です。壮大なる構想を練り、若気の至りでしょうか。当時はブラジルナショナルチームを本気で、また、必死にソフトボールの指導を行いました。このプロジェクトを12年間続けました。当時ナガセケンコーの長瀬二郎社長の力強いバックアップがあったことも付記しておきたいと思います。

 それから、約2年後、私は、再びブラジルへ飛び、女子ナショナルチームの指導。その折に紹介されたのが、以下の記事です。

 2009年2月12日(木曜日)ブラジル「ニッケイ新聞」の見出しは、「早稲田 五輪に野球・ソフト復活へ」「吉村総監督が来伯指導」「選手の裾野を広げたい」また、他の日系新聞での見出しは、「早稲田 吉村総監督が一肌脱ぐ!」「伯から世界一の投手を」でした。

 「ニッケイ新聞」記事の内容は、「野球ソフトボールの五輪復活プロジェクトを進める早稲田大学ソフトボール部総監督、吉村正氏(63、同大教授)が七日来伯し、十二日までソフトボールの指導やティーボールの普及を図っている。二〇一二年のロンドン五輪で野球ソフトボールが正式種目から姿を消し、一生懸命練習している選手たちの目標の一つが失われる可能性がある。吉村さんは数年前から正式種目復活への手立てを独自に練ってきた。」

 (略)開催国が正式種目復帰を働きかければ、実現の可能性が高い。そのためには、代表チームがメダルを狙えれば、働きかけの動機になる。この十一年間に、自身を含めて、延べ十六人が来伯した。百周年の昨年五月には特別三人を日本に招聘し、早稲田大学で三週間特訓した。『本当にうまくなった』と振り返る。伯国ソフトボール界に目標を与えるため、日本の一部リーグ実業団と交渉した結果、伯国からの選手を受け入れる見通しとなった。『今回、それにふさわしい選手も見にきた」という。

 ここから、私は、次の手を打ちました。以下が、上記の記事の続きです。

 「『ブラジルは二〇一六年の可能性が薄れたことで、むしろ準備に四年間のゆとりができた』。それなら『子供向きのティーボールで裾野を広げたい』と考え直した。このティーボールは、今年から日本の二万校以上で十二年間、学校教育の中で教えていくことになった簡易野球とでもいうべきもの。投手がおらず、ティー(細長い台)の上にボールを置き、それを打者が打つ。ブラジル野球ソフトボール連盟(大塚ジョージ会長)が中心となって、国内で普及することになっている。ブラジル球界のレベル向上のため、長期的、短期的にも親身になって考える吉村さん。『ブラジルは上手くなってきている。そしてもっと上手くなる』とうなずいた」と。

 この前年、ブラジル野球ソフトボール連盟は、我々NPO法人日本ティーボール協会が毎年作成している「ティーボール入門」を独自で、ポルトガル語(ブラジルの公用語)に翻訳されました。そこで私は、2009年3月20日に出版した「笑顔いっぱいティーボール」のポルトガル語版を完成させ(2010年)、それをブラジルの多くの小学校へ寄付しました。ブラジル野球ソフトボール連盟の役員、関係者の方々からは、大いに感謝されたことをついこの間のように記憶しています。この活動が現在の広がりに役立ったのです。

 2023年の冬、日本協会小西理事(当時は評議員)が、ブラジルへ野球やティーボールの普及活動に行かれた時「日本式ティーボール」が「チーボール」として、小学生の間で広く普及していた、と報告を受けました。ちょっと嬉しい気分になりました。

 以上のような流れで、ブラジルにおいて、日本式ティーボールを普及させたのでした。