7月7日 NHK若大将加山雄三熱唱 ハワイでの歌、ポスター盗難事件、別名「可山優三」君を思い出す

 昨日の夜8時「NHKうたコン 若大将SP加山雄三熱唱」を初めだけ見ました。聞きました。私は歌番組は先ず見ません。聞きません。私は歌が下手です。上手く歌える人とお付き合いするのが苦手です。カラオケも人生1回行きましたが、2度と行きません。歌の好きな方ゴメンナサイ。親友であった故丸山先生はカラオケ大好き人間でした。毎晩のように銀座のカラオケで歌が歌えるところに行く、とよく言っていました。私は無理、絶対行かないのを彼は知っていました。でも、昨日は、加山雄三が出るというので、チャンネルをNHKにしました。「君といつまでも」を聞くためです。

 加山雄三と言うと私には三つの大きな思い出があります。その一つは、彼が歌った「君といつまでも」です。歌がだめで歌を避けていた私が、1969年から1971年迄ハワイに留学した時、日系人の集まりで歌われるのは、この「二人オー、夕闇が―、包む―、その窓辺に―」です。2世も、3世、4世もこれをきれいな日本語で歌うのです。この時、彼らも私も日本を思い、そして加山雄三の素晴らしさを異国で感じ取ったのです。その頃のハワイ、もう一つ、日系人がパーティーで好んで歌うのは「嵐も吹けばー、雨も降る―、女の道もー」です。曲の題名は知りません。これは加山雄三さんの歌ではないはずです。

 中学校の時、音楽の授業で「歌のテスト」がありました。生徒は一人一人ピアノを弾いている先生の横に行き、歌を歌います。私から見たら皆憎たらしいほど歌上手いです。勉強ができない子も上手いです。私の順番が来ました。私一生懸命歌いました。先生は明らかに私の歌に合わせてピアノを弾いています。クラスの何人かは「クスクス」と笑っています。笑わないのは私だけ。その時、先生が「吉村君!音楽の授業は歌を歌うことだけではないから、楽譜を読むことも大事」と優しいお言葉。これ中学生でもその言葉の意味分かります。「あなたの歌は、限りなく下手です」の裏返し。この思い出、私の人生で今もって引きずっています。その音楽の先生は本当にいい女性の先生でした。こんなに私が歌が下手でも音楽の「テスト」だけが良かったので成績は「4」。さすがに「5」ではありませんでしたが。

 次に、加山雄三さん、2021年の今、まさに東京オリンピックが始まろうとしています。皆さんご存じのように、1964年に東京オリンピックが駒沢中心に開催されました。その時、私は、近畿予備校生で18歳。たまにラジオでオリンピックの実況中継かニュースを聞く程度。それ以外は、勉強、勉強、また勉強です。高校時代、野球をやり過ぎました。オリンピックには、当時野球もソフトボールもありません。先ず、大学に入ることしか考えていません。そこで浪人中、一つの、面白いニュースが飛び込んで来ました。それは、オーストラリアの女子水泳選手たちが、映画館の前のポスターを壁からはがして、母国に持って帰ろうとしているというのです。私はこれにはとても興味深く感じ、そのポスターとは?と調べてみたら、それは、若大将加山雄三がアップになったもの。加山雄三は世界に通じる大スターなんだ。とその時初めて認識したのです。それから、5年後にハワイ、アメリカ留学で前述の再認識。当時、私が映画スターで知っていた人は、京都出身ですので、片岡千恵蔵、市川歌右衛門、大河内伝次郎、それに若いところで石原裕次郎ぐらいでした。石原、加山といった若いかっこいい映画スターは皆慶応大学に行くのだと思ったりしました。私は、早稲田一直線。歌も映画も分かりませんから。

 そんな私が、早稲田で教鞭をとり始めたとき、学生の間で、またまた「加山雄三」が大変な人気。彼はいつまでもかっこいい。そんな魅力的な人早稲田にはなかなかいないからと思いきや、少し違いました。

 当時早稲田で「加山雄三」というと何を意味したか分かりますか。成績は80点以上が優、70点から79点は良、60点から69点までは可、59点以下が不可です。もうお分かりですか。「可」が「山」のようにあり、「優」がたったの「三」つ。「可」山「優」三です。早稲田で成績の悪い人、スポーツをやり過ぎた人の別名です。その頃、慶応は、早稲田の校歌をちゃかして、「早稲田、早稲田、早稲田、早稲田、早稲田ー」と歌うところを、彼らは「やせた、やせた、やせた、やせた、やせたー」と歌っていました。本当に早稲田の学生は、痩せた学生が多くいました。物がない時代。何かを買う金がない時代。節約して当たり前の時代でしたから。慶応の人達早稲田を皮肉って「やせた、やせたー」ピッタリでもないですが。そんなに大きな間違いではないか。今だから、こんなこと余裕をもって書けます。

 加山雄三さんの「うたコン」を見て、いろいろ思い出しました。昔から、いろいろな分野で「早慶戦」がありました。60年前にデビューした加山雄三さんはその後も素晴らしいご活躍。彼のような大スターが、今、この2度目の東京オリンピックの時には慶応ではなく早稲田から出てほしいです! 慶応の人達、あなた方はこの加山雄三さんで60年間もいい思いをしてきたのだから、今度は早稲田で・・・、いいですね。