7月8日 女子ソフトがアトランタ五輪の正式種目。その後の活動は、野球・ソフトボールの底辺拡大のために「日本ソフトボール・ティーボールアカデミー」設立、そして「日本ティーボール研究所」へ。

 1992年4月から1995年年6月迄の約3年間「ソフトボールマガジン」(ベースボールマガジン社発行)において、「アトランタ五輪に向けて、吉村正の目」を連載しました。女子ソフトボールをメジャーにする、この一念で書き続けました。様々な大会を取材し、また、海外の要人とのロビー活動も多々行い、思い出深い3年間となりました。女子ソフトボールがアトランタ五輪より正式種目になったことで、一つの節目と考え、この連載を終わりにしました。

 次のターゲットは、男子への普及と野球界の底辺拡大のためのソフトボールの普及でした。そこで次の連載のタイトルは、「ソフトボール元年」としました。野球・ソフトボールの底辺拡大に関しては、「いつでも、どこでも、誰でも、楽しく、笑顔でプレーできるベースボール型」の理解を深める仕事が最も重要と考えたからです。これを行わないと、ソフトボールは、女子だけの野球の小型版、簡素化版、男子にとっては野球の二流という世間の理解で終わってしまうと考えたからでした。

 男子への普及は、アトランタ五輪の開催された年から、私は早稲田大学ソフトボール部(男子)をアメリカのソフトボールの最高峰、「ワールドシリーズに出場する」を目標に掲げたのでした。1996年2月第5回アメリカ遠征において、幸いワールドシリーズハワイ予選で優勝、それで、ソフトボール部は、ハワイ州を代表して、ワールドシリーズ(カンザス州ハッチンソン市)に参加できるようになったのでした。結果は24位でしたが、それはそれは大きな収穫がありました。選手の目の輝きが変わってくる。学生が世界を知る、極めて重要な国際教育、国際交流が出来たのでした。加えて、本場アメリカの野球とソフトボールを知る最高の経験を得られました。この遠征は、この後、14回続けました。

 一方、「いつでも、どこでも、誰でも、笑顔で楽しく行うベースボール型球技」の普及と研究を加速させねばならないと考え、「ソフトボール元年」の連載21回(1997年4月号)では、そのタイトルが「“ソフトボール・アカデミー”設立構想」。そこでの冒頭、私は次のように記しています。

 「日本のソフトボール競技人口は他のスポーツと比較しても断然多い。したがって、有能な指導者、素質ある選手が全国にたくさんいる。しかし、その人たちが、脚光を浴びる機会は極めて少ない。また一方では、指導者として、選手として恵まれた才能を十分引き出されていない人たちも大勢いる。そこで、このような指導者や選手、あるいはソフトボールの組織に関係している人たちの研修の場、勉強の場、即ち学校(アカデミー)を日本に設立したいのである。」と。

 それから2年後の1999年4月、私は丸山克俊先生の力を借りて「日本ソフトボール・ティーボールアカデミー」を設立したのでした。ここでは、「基本構想」の1.設立の趣旨を紹介します。

(1)本アカデミー(研究所)は、わが国のソフトボール&ティーボールに関する総合的な研究を行い、併せて、研究者養成及び研究助成を行う。

(2)本アカデミーは、ソフトボール&ティーボールの国際的な指導者を養成する。

(3)本アカデミーは、ソフトボール&ティーボールの国際的交流及び国際親善を積極的に推進する。

その後、2.は、運営(役員)組織(略) 3.予算編成(略) 4.事業計画(略)と続きました。

 このアカデミーの会長は吉村正、副会長は荒川博、専務理事は丸山克俊、監事は岩浪文明、常務理事には、現在日本ソフトボール協会会長のM氏、理事には、スコット参与や醍醐評議員らの名前があります。このアカデミーから、奨学金を得て育った当時の学生達の中に、現在、日本協会で活躍されているI氏やO氏がおられます。

 世界への指導は、ヨーロッパやブラジル等への指導が中心でした。ヨーロッパ各地への指導は丸山克俊先生が、ブラジルへの指導は早稲田大学ソフトボール部が責任をもって行いました。その時々の主将やエース投手が言葉の壁を越え、ボディーランゲージを駆使して、ソフトボールやティーボールを情熱的に指導してくれたのでした。

 ブラジルへの指導に関しては、2000年3月号の「ベースボール。クリニック」(ベースボールマガジン社発行)に、当時早稲田大学大学院2年生として、一之瀬君(現在常務理事)がティーボール通信74「ブラジルでのティーボール指導の報告」、翌年は、早稲田大学ソフトボール部主将のF君とエース投手のT君が「ブラジルでの選手強化指導」を寄稿、2002年は、主将の現在協会評議員の白石君と投手のK君、2003年も主将と副主将でエース投手。これを続けたことにより、2007年のスコット参与、A君とY君、それに私計4人の来伯に繋がるのでした。

 また、国際的なソフトボールとティーボールの指導者を養成するために、2泊3日の「キャンプIN早稲田」を開催。その日程表では、ウオーミングアップ・クリニック、ピッチング・クリニック、バッティング・クリニック、コンディショニング・クリニック、ミニ講義では、本アカデミーに意義について、野球・ソフトボール比較論、ティーボール指導法実習等が含まれていました。

 この研修会の模様が、当時13巻のビデオとして、ベースボールマガジンから発売されたのでした。大変評判が良かったと聞いています。それは、当時の指導者が日本の超一流が揃ってのアカデミーだったからです。因みに、その講師は、敬称略で荒川博、近藤和彦、鈴木のり夫、池田重喜、小川幸三、三宅豊、利根川勇、鈴木征、丸山克俊、そして私でした。

 この「日本ソフトボール・ティーボールアカデミー」は、現在その名を変えて「日本ティーボール研究所」として、教材を作成したり、ティーボール用具の開発に努めたり、若手研究人の発掘、養成に尽力をしたりしています。これからもその活動に注目してください。