8月29日 イチローさん球団殿堂入りセレモニー、私の「殿堂入り」は2013年8月23日オレゴン州ポートランド市。

 イチローさん(マリナーズ球団会長付特別補佐兼インストラクター)がシアトルマリナーズの球団殿堂入りを果たされました。おめでとうございます。この偉業は、イチローさんがメジャーで大活躍するまで、日本選手が達成するなんて、誰が想像出来たでしょうか。まさに信じられない数々の大記録です。その成果を、マリナーズの球団関係者は正確に評価したのです。さすが野球の発祥の地、アメリカです。英雄、成績、名誉を大切にします。

 セレモニーは、本拠地Tモバイルパークで行われました。驚いたのは4万5000人という観衆の数です。球場は超満員。ここは、私がスコット先生とよく行ったセフィコフィールドでしょうか。ライトを守るイチローさんの後方で、よく応援したものです。イチローグッズは人形、カード、Tシャツ、彼について書かれた英語の書籍、私は大のイチローさんファンなので、今でもそれらを大切に保管しています。書籍については、たまに読み返したりもしています。

 16分間のイチローさんの英語のスピーチ、内容も発音もお見事でした。シアトルを愛し、マリナーズを愛し、妻弓子さんを愛し、ファンを愛し、監督を尊敬し、先輩ケン・グリフィー・ジュニアを尊敬し、後輩の現役J・ロドリゲス選手から敬愛され、その一つ一つの素晴らしさは、ここでは書ききれません。ライバルであったランディー・ジョンソンからのメッセージがいいですね。「もう一つの殿堂入りの時会いに行くよ」。この時は、もっとスケールの大きなセレモニーになることは野球ファンは知っています。

 ここで僭越ですが、私も野球・ソフトボールを国技とするアメリカ、NAFAの協会で殿堂入りしました。NAはノースアメリカ(北米の意・カナダとアメリカ)のこと、FAはファーストピッチ(速いボールを投げる)・ソフトボール・アソシエーション(協会)のことです。そのセレモニーは今からちょうど10年前の2013年8月23日。場所は、アメリカのオレゴン州ポートランド市で行われました。

 表彰式前日は、日本ティーボール協会参与、初代アジアティーボール協会理事長スコット・ダグラス先生のポートランドの実家で、英語のスピーチの練習と最終確認。広い庭園の片隅で声を出して、身振り手振り、ジェスチャー交じりで、一生懸命練習をしたのをついこの間のように記憶しています。その折はスコット先生大変お世話になりました。

 8月23日の表彰式当日は、緊張しまくり。会場には日本人は誰もいません。北米リーグですから。全てがアメリカ人とカナダ人です。そこで、昨日まで練習を重ねていた私のスピーチですが、スコット先生にアドバイスを頂いていた、次のこのくだりだけは集まった人たちから、笑いを取ることができました。

 「1969年早稲田大学を卒業後ハワイに渡り、日系リーグでソフトボールとベースボールを二年間プレーしました。当時は非常な円安で、その影響もあり十分な食事をとることもままなりませんでした。例えば、日本では60円、当時のアメリカ通貨で換算すると18セントで昼食が食べられました。ハワイへ渡った際、カフェーで安っぽい一人前の昼食を注文する時でさえ、1,5ドル、日本における二日半分の昼食代に相当する金額が必要でした。幸運にも、所属するチームがプレーをするたびにお金(食事)をくれました。そのため、生きるために必要以上の試合に出場しました。このような困難があったにも関わらず、私はこのリーグにおいてオールスターに選出され、最優秀選手賞、打点王、本塁打王等のタイトルを受賞しました」(以下略)。

 こんな感じで、私の「殿堂入り」の儀式は終わり、数多くの記念品をNAFAや関係団体から頂きました。これを日本の皆さんにお見せしたいと思い、この時ほど、安全に無事に日本に帰りたいと思ったことはありませんでした。

 これが、アメリカにおけるもう一つのベースボール型球技の「殿堂入り」セレモニーの報告です。

 以下が、その時のスコット先生と私のスピーチです。日本語にも翻訳しました。ご一読頂ければ幸甚です。