9月23日「アメリカの野球・ソフトボールの競技人口が少なすぎです。50年前を思うと非常に寂しいです。オオタニさんの45号をスタンドで直接観る人も少ないですね」

 今日は秋分の日で休日。ここ3.4日実に爽やかな青空が続く東京です。皆様方の地域は如何ですか。その関係か中秋の名月の一昨日はいうまでもなく、その前後の日もお月様が実に美しかったです。今日も東京は32度で「晴れ」、この後満月を見ながら帰るのも楽しみです。

 昨日のオオタニさんは、10試合ぶりの45号のホームラン。ゲレロとペレスにあと1本差、またまた楽しくなって来ました。その上、この45号はトラウトに並ぶ球団2位の記録だそうです。あのプホルスでさえ40本でしたから如何に偉大な記録かが分かります。それに、まだありました「45本塁打20盗塁」。ニューヨークヤンキースの大スター、アレックス・ロドリゲス以来の快挙ですって。こうしてオオタニさんを書かして頂くと、その打ち立てる記録の対照相手が、ベーブルースだったり、先日のレジ―・ジャクソンだったり、今日はA・ロドリゲス、トラウト、プホルス、これ本当にアメリカの野球を知っている者からすると、アンビリーバブルのことばかりです。

 以前も書きましたか、私はNHKの衛星放送でメジャーリーグの試合が放映され始めた30数年前の頃、NHKの担当者にお願いされ、メジャーリーグの過去、当時の現在等に関して、その番組の監修をしたことがあります。私は古い時代はかなり分かっていても、その頃(当時の現在)については詳しくありませんでした。でも、ゼミ生の中でアメリカメジャーリーグ通(おたく)の学生がいてくれたので、私と学生の二人はNHKに迷惑をかけずに楽しい仕事をさせて頂いたのを思い出します。その仕事が私に来たのは、多分、アメリカでベースボールをプレーしていた、また、その研究者でもあるということで白羽の矢が立ったのでしよう。その分野の専門と思われている私が、オオタニさんが毎日のように残す記録をただただ驚いているのです。

 驚いたついでに、今日はもう一つ。これはオオタニさんがホームランを打った時のスタンドの観衆です。これも信じられないほど少ないです。なぜ今、アメリカは野球、そして野球を愛するソフトボール競技者が少なくなっているか。メジャーの選手は、中米の選手が以前と比べて、なぜ多いのか。一方、北米の選手は野球をプレーしなくなって来たのか。これに関しての報告が日本では少ないように思われます。このアメリカの野球人口の減少は、50年前アメリカでプレーしてきた人間として、またその後も継続して野球を観てきた者にとって、とても寂しいのです。

 ここで、私が1976(昭和51)年8月に書いた「写真で見るソフトボール」(成美堂出版)PP1ー203の本の30ページと31ページを下に貼り付けました。この本は、自分でいうのもおこがましいですが10年以上に渡っての大ベストセラーでした。何十万部かが売れました。その30と31ページにアメリカの「SPORTS AND RECREATION FACILITIES」から引用した「絵・イラスト」がこれです。

 当時のアメリカは、小学校を新設する時は、学校の中に8面のソフトボール場を作らなければならなかったのです。中学校は4面ソフトボール場がなければならなかったのです。もうこれだけでお分かりですよね。アメリカの小・中学生は男子も女子も全員が学校の授業でソフトボールをプレーしていたのです。その子ども達は皆野球選手でもあり、ソフトボール選手でもあったのです。勿論、野球・ソフトボールのファンでもありました。また、地域の人も、その地域のコミュニティセンターで、ソフトボール場が4面も6面もあるのですが、それで足りない時は、小学校か中学校の校庭の1ヶ所か2か所か3か所を借りてプレーしていたのです。この人たちが、メジャーリーグ、3A, 2A, A、更には地方での民族リーグ、例えば、日系野球リーグ、プエルトリコリーグといったものを大切にしていたのです。そこには、それぞれで伝統があり名選手も大勢いたし、目の肥えた観衆もいました。それは、小・中学校教育の中でソフトボールをいつもプレーしていたからです。アメリカの多くの人は学校教育の中で、野球・ソフトボールのファンに自動的になったのでした。そして、自分自身ではソフトボールをプレーしたときは、あたかもベーブルースやタイカップになったつもりでいたのです。

 当時のアメリカの百科事典(encyclopedia)には、アメリカのソフトボール人口は1億2千万人の選手とファンがいる世界最大のアマチュアスポーツであると書かれていました。その人たちがアメリカのメジャーを初め様々な野球リーグを支えていたのです。

 一例をあげますと、ハワイではオワフ、カウアイ、マウイ、ハワイ(ビッグアイランド)の4島では、学校、地域、職場その全てでソフトボールのプログラムが、実力に応じてA, B, C、Dといったようにランク分けがなされ、そこでは、同じような実力の選手が和気あいあいとソフトボールを楽しんでいたのです。どこのコミュニティセンターに行っても4面ほどあるソフトボール球場は満杯でした。私がアメリカ本土に度々旅行したり、野球やソフトボールで遠征したりしても、どこでもソフトボール場は朝から夜9時ごろまでプレーされるのが常でした。自由の女神の下にソフトボール場、セントラルパークにあった4・5面のソフトボール場、シカゴの市内のダウンタウン、ど真ん中に今でもある6面のソフトボール場、ワシントンDCに行くとそのホワイトハウスの前の公園には20面を超えるソフトボール場(現在は子どものティーボール場になっているところもあります)。アメリカでは、オールオーバーどこでも、ソフトボール場がありました。そこでは、朝は引退者のソフトボール、午後2・3時頃からリトルリーグ、5時頃からは仕事を終えた労働者が夜9時ごろまで照明の下で何試合もゲームを楽しんでいたのでした。

 今は、残念ながら、アメリカ中部ではまだまだソフトボール球場はあちこちに、8面、6面とありますが、競技人口は、40年、50年前に比べると1000分の1、否もっともっと減少していると推察できます。ハワイは、何百とあったソフトボールプログラムのそのほとんどは、消えてなくなりました。それに似たアメリカの州は多いです。現在、野球やソフトボール・ティーボールがプレーされているのは、4歳から8歳までのティーボールその上のリトルリーグ、ソフトボールや野球はほぼ高校と大学のバースティー(部)のチームぐらいでしょうか。レクリエーション活動として少しばかりのスローピッチのソフトボールがプレーされている程度です。それはそれは惨憺たるものです。涙が出ますよ。昔のアメリカの野球を知っている者にとっては。プレーしていた私は、涙どころではありません。絶望感があります。ディサポイントメントです。失望ばかりです。

 だから、オオタニさんが打ったホームランを捕る観衆があまりにも少ないのがとても気になるのです。何も、エンジェルスが今年の地区シリーズで残りの11試合を全部勝ってもWCワイルドカードに残れないからだけではないでしょう。愛好者の激減が原因なのではないでしょうか。

 アメリカの野球界の衰退を今一番救おうとしているのが、オオタニさんです。でも、前述したように、アメリカで野球とソフトボールをプレーする人が本当に少なくなりました。これは、日本の野球・ソフトボール関係者も正しく知る必要があります。将来の日本の野球界やソフトボール界が心配です。

 予算が十分あって、有能な職員が揃っている野球関係の協会・連盟・団体の皆さん! 今こそ、目を覚ましてください。やることは二つです。一つは、この私の提案が正しいかどうかアメリカに行って学習して来ることです。その現状を正しく理解したならばそれを日本では将来どのようにするべきかが分かります。二つは、野球界とソフトボール界が揃って、この日本式(日本発)ティーボールを、全ての小学校でプレーしてもらうように、高校の野球(ソフトボール)選手、大学の野球(ソフトボール)選手が、ゲスト先生(ティーチャー)となって、母校の小学校に行き、担任の先生や校長先生を助けに行くことです。折角、この日本式ティーボールが小学校体育に必修科目(ベースボール型)として入っているのですから。

 これは、50年前の上記アメリカの小学校や中学校のようにその校庭に8面(小学校)も4面(中学校)もソフトボール場を作ることを義務付けた。それがアメリカの野球・ソフトボールの隆盛に極めて貢献したことを思い出すと分かり易いです。

 今日は、オオタニさんの45号の本塁打の落下点に、あまりにもカリフォルニアのアナハイムのエンジェルススタジアムにいる観衆が少なかったので、心配してこのような「理事長からのメッセージ」にしました。

 野球・ソフトボール関係者の方々、日米を問わずもう少し危機感をお持ちください。お願いします。