10月3日 オリックス優勝おめでとうございます。宮内オーナーが「幸せ過ぎる」と。パールからバッファローへ。
76勝65敗2分。勝率5割3分9厘。これは今年のパシフィック・リーグ最終日、最終戦でのオリックスとソフトバンクの勝率です。同率の場合は、この2チームにおける直接対決の勝敗の数で、優勝が決まります。今年は、オリックスがソフトバンクに15勝10敗と勝ち越し。そういう訳で今年のパシフィック・リーグの覇者は、オリックスとなりました。
それにしても、昨日のソフトバンクとロッテの最終戦、ソフトバンクが勝つか引き分けると、ソフトバンクの優勝。オリックスは、ソフトバンクが負けてくれないと優勝の目はなかったのです。オリックスが楽天に5対2で勝利しても、まだ優勝というわけではありません。先に試合が終わったのは、オリックス。その後ソフトバンクの敗戦の報が届きオリックスの優勝が確定したのです。
最終戦には、オリックスの宮内義彦オーナーも球場に駆けつけておられました。球団創設以来34年務めたオーナーも今年で退かれます。宮内オーナーも感無量のことと推察いたします。宮内オーナーの言葉が日刊スポーツに掲載されています。「『やっぱり野球は筋書きのないドラマ。あり得るとは思ったけれど現実になって驚いている。幸せ過ぎるなと』。興奮で声が震えた。」と。本当に良かったですね。
今から34年前の1988年、宮内氏は53歳。そこでオリックスの前身であった阪急ブレーブスから球団譲渡を受け、オリックス・ブレーブスが誕生しました。当時のプロ野球界は、電鉄、即ち、阪神、西鉄、南海、阪急、近鉄がプロ野球団を所有するという時代から、いわゆる新興企業が自身の会社のために、あるいはその地域振興のために、球団を持ち始めた頃でした。私も当時、聞きなれない会社「オリックス」ってどんな会社なのだろうと調べたことを覚えています。
当時、宮内オーナーがお若かったこと、「オリックス」という会社が、一般的に知れ渡っていなかったこともあり、随分苦労されたことは知る人ぞ知るです。その6年後。2004年オリックス・ブレーブスは近鉄バッファローズと合併、球団名を「オリックス・バッファローズ」と改名しました。
この度の2連覇は、「オリックス・バッファローズ」として、1995年・1996年の仰木監督、選手にイチロー選手や田口選手等がいた頃以来です。宮内オーナーは随分我慢をなされたように思われます。この「オリックス・バッファローズ」の本拠地は「京セラドーム」。2015年から2019年までの5年間、公益財団法人日本野球連盟と一緒になって、「親子でチャレンジ!楽しさ2倍!!『ティーボール教室』」を行ってきました。京都の広野幼稚園や大阪の多くの幼稚園や保育園の園児が保護者と一緒に遊びに来てくれたところです。
昨日、早稲田大学ソフトボール部は、女子部が東京女子体育大学に5対0で勝利。男子は慶応に4対2でこれまた勝利。とても気分の良い日でした。試合終了後、女子部のミーティングで、オリックスの下の名はブレーブスかバファローズかと質問したら、「バッファローズ」とすぐに返事が返ってきました。ソフトボール部女子部員はそのほとんどがプロ野球ファンです。
そこで私がすかさずバッファローズの名前の由来は知っていますか。という質問。監督も選手も知りませんとの返事。ここからは、昔のことはよく覚えている私の登場です。「あのなあ! 巨人軍の名二塁手で千葉という選手がいて、その選手は右方向に打つ名人、有名選手だった。その千葉さんが近鉄の監督に。その千葉さんの巨人軍でのニックネームがなんと『牛・バッファロー』だった。そこから近鉄は『バッファローズ』となった。それまでは『近鉄パールズ』と言いました。近鉄は京都や名古屋から『御木本真珠(パールズ)の町』伊勢志摩方面への鉄道があるのです。だからその真珠(パール)の名がついたのだが、「パール」では何か強さを感じないために「バッファローズ」になったとさ」。こんな話をしましたら、50代の監督も20歳前後の学生(選手)も納得でした。
今日も最近の話より、昔のことをよく覚えている「理事長からのメッセージ」でした。クライマックスシリーズでは、この2球団と我々の地元西武との三つ巴の試合が行われます。楽しみです。
プロ野球界では苦労続きであった宮内義彦オリックスオーナー、それに中島監督初め選手、関係者の皆さん、この度の2連覇、誠におめでとうございます。