3月7日「正親小学校ろ組昭和33年卒業同窓会。そこでのWBC談議は、先生が教室に来るまで続きます。大谷、ヌートバー、吉田、皆呼び捨てです。」

 「正親小学校ろ組 昭和33年卒業」の「同窓会ご案内」が来ました。そこには、「前略)早いもので前回の同窓会から3年たちました。私達も喜寿を迎える年齢になり体力の衰えも考慮し、皆様のご意見を伺いたく思っております(後略)」とあります。差出人は当時ソフトボール友達だった中居君。

 彼と私は、学校(授業)が終わったら毎日、近くの公園でソフトボールをして遊んでいました。彼も私も二条中学へ。卒業後、彼は山城高校へ、あの阪神タイガース吉田義男氏や白馬童子の山城新伍が卒業した学校です。彼はサッカー部へ。ソフトボールが上手だったのでゴールキーパーに。あの釜本選手の1学年下で、1年生からレギュラーで活躍しました。

 同窓会は、京都市北区の大将軍、島津アリーナ京都の前の「お店」で行われるとのこと、行きたかったのですが、その日は早稲田大学の卒業式と重なりました。欠席の返事を出しました。

 さて、昨日の侍ジャパン。皆さん観ましたか? 私と中居君、正親小学校ろ組の頃の会話なら、次のようになります。

 授業前、私「おい、中居、観た、昨日の大谷、凄かったね、片手でホームランやで、しかも後ろ足の膝をついたあの状態で」。中居君「観た、観た、凄いね」。私「次の打席も、ナンヤあれ、バット折りながらセンターオーバーのホームランや、化け物やな、人間とは、思えへんでー」。彼も「そや、そや」。私「試合前のバッティング練習を観た?160メートルや、それも1本や2本とちゃうでえ」。

 こんな話を始めると、クラスの友達が次から次へと集まってきます。3人、4人、5人と。私は得意になり、ヌートバー観た、ミートが上手いなあ、イチローみたいや、あの2本のヒットは、ほんまもんやでえ、また、あの人なつっこい笑顔、めちゃくちゃええやん、人気でるでー」。3、4人が「そや、そや」。またまたクラスの人が集まります。当時は、皆、小学校でソフトボールをしていました。

 更に、私「吉田のレフトオーバーの二塁打、観たあ、あのマッチョ凄いね、反対方向に打って、あの痛烈な打球や、時差ボケも関係ないんかな、京セラドームは、吉田の本拠地だったもんな、よう打ちよるわ、それにしても、これやったら、ボストン・レッドソックスでも活躍しよるで」、「知ってるか、ボストンはな、京都と姉妹都市、アメリカの古い町で、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学もあるし、京都と同じように文化と野球の町なんや」。友達「吉村、お前、何、脱線しとるんや、野球の話をしてくれよ」。

 私「山川と村上がちょっと心配やなー。そうそう、2番の近藤と8番の源田がええ仕事してるなあ、近藤が大谷に、源田がヌートバーに上手く繋いでるー」あの打順も、結構考えよったな、栗山も」。ピッチャーもなかなかええやんか、これWBC、優勝しよるかも知れへんでえ、山本の新しいピッチングフォームも、なんか踏み出し足が地面に引きずった感じで投げてるけど、イケルでそれでも。平安の高橋も結構やるやん、同じ京都やから応援せんとな」。

 「こら!、吉村!また、野球の話をしてるんか、ええ加減にせえ」。正親小学校6年ろ組担任、塩田先生が教室に入ってこられました。

 吉村君、塩田先生に怒られて、WBCの教室内での野球談議は、これにておしまい。そこに集まっていたクラスの友だちは、いつの間にか10名を超えていました。こんな状況、今の小学校にありますか?

 小学生は、大谷であろうが、ヌートバー、イチロー、吉田、栗山、山本、村上、山川、高橋、どんな名選手でも、皆、呼び捨てです。こんな野球談議があちこちの小学校で聞かれるようになれば良いですね。野球が間違いなく蘇ります。

 そのためには、小学校でティーボールをプレーしてもらうことです。

 今日は、WBC強化試合を最初から最後まで観たいと思い、この「理事長からのメッセージ」は、午前中に書きました。今日のプレーボールは19時ジャスト。小学校の同窓会案内を頂いた機会に、思いっきり童心に帰り、これを書きました。