1月19日「日本ティーボール協会元理事(日本野球界の大功労者)水島新司先生! ありがとうございました」

 漫画家の水島新司先生が10日肺炎のため都内の病院で亡くなられました。1年1ヵ月前の12月1日に漫画家を引退すると発表されてから、わずか1年後でした。昨日の日刊スポーツに一面は、ドカベンでルールを知り、あぶさんでパ・リーグ知り、野球狂の詩で人生を知ったとあります。サンケイスポーツの一面は、ドカベンよ永遠に。「あぶさん」「野球狂の詩」世代を超え愛された名作の数々、とあります。私も大学院時代、週刊誌に連載されていた「あぶさん」を愛読していました。その週刊誌を読み終わったら、アフガニスタンで研究並びに大学で教鞭をとっていた先輩の先生に毎月お送りしていたのを、今思い出しています。水島新司先生は野球をよく知った漫画家でもあり、野球を通しての人生の先生でもありました。

 さて、水島新司先生ですが、この「理事長からのメッセージ」において、一昨年の12月1日に取り上げました。それは、先生が漫画家を引退すると発表されたときでした。その時のタイトルは「水島新司先生が漫画家を引退 先生には心からの『感謝』です」。内容は、元南海ホークスの市原稔君の紹介で先生のご自宅にお邪魔して、この協会のイメージキャラクターをお描き頂いたことについてでした。その折、水島先生は「吉村先生、よく考えましたね。止まっているボールを打つ野球ですか、これだと誰でも打てるものね。楽しめるね」でした。

 今日は、1年前にここで紹介できなかったことを、皆さんにお知らせいたします。実は、1993年この「日本ティーボール協会」を設立した時、私は、水島新司先生に協会の「理事」に就任頂くように懇願しました。先生は「僕はそのような役職は先ず引き受けたことがない。また、苦手です」と固辞されましたが、そこは、強引の吉村、情熱だけは負けません。私は絶対先生に迷惑をおかけしませんから、何としてもお願いします。この一押しで、水島先生の「理事」は決まりました。

 今日の「理事長からのメッセージ」の下に、当時の先生直筆の日本ティーボール協会理事 水島新司 「一人でも多くの野球少年を!」というサインを貼り付けます。ご覧ください。この先生のサインは、設立当時に出版した「ティーボール入門」の裏表紙に掲載しました。

 水島新司先生の野球界におけるご貢献は、新聞やテレビなどで報道されている通りです。今日の最後の「理事長からのメッセージ」は、サンケイスポーツに掲載されていた川崎のぼる先生のコメントです。紹介します。「水島さんとは、ほとんど同じ時期にデビューした同期みたいな存在だった。単行本から雑誌連載へと活動の軸足を移していった流れも一緒だった。私が作画を担当した『巨人の星』が人間ドラマ中心だったのに対し、水島さんは野球そのものに詳しく、野球に特化した作品を数多く手掛けられた。時々お会いすると『負けないように頑張る』と言っていただいた。また、大切な同志を亡くしてしまい寂しい」と。

 日本ティーボール協会の大功労者、そして日本野球界の大恩人、水島新司先生! ありがとうございました。