1月25日 天声人語に織田幹雄先生。「これからは君たち時代です。英語を勉強しなさい(48年前)」。先生は大学で父と同級生。榎本常務と重信理事は高校の後輩、皆、国際派です。

 本日の朝日新聞の天声人語の書き出しを、紹介・引用します。「ホップ・ステップ・ジャンプのことを『三段跳び』と命名したのは、朝日新聞OBの織田幹雄さんだった。1928年のアムステルダム五輪で15メートル21の記録を出した。日本人で初の金メダリストである。▼『三回跳び』と名付ける案もあったそうだ。しかし同じことを3度繰り返すように見える、と陸上連盟の役員会で反対があった。『三段なら前に進むということになる。三段のほうがいいじゃないか』。」(後略)

 織田幹雄先生は、私の大学時代の恩師の一人です。先生は広島県立広島中学校(後の広島第一中学校)の出身。中学4年生の時に、サッカー部を退部して、徒歩部(陸上部)に入部。卒業後、広島高等師範学校臨時教員養成所へ進学。その後、1925年早稲田高等学院へ、1928年早稲田大学商学部に入学と同時に競走部に入部されたのです。そこでの金メダル。

 高等学院、商学部、競走部では、私の父と全く同じ道を歩まれました。即ち、織田幹雄先生と私の父は学部も部活も同じ。織田先生は三段跳びの金メダリスト、父はへぼな走り幅跳びの選手だったと聞いています。負けず嫌いな父は、陸上では負けたが勉強では、頑張ったと。

 1964年(昭和39年)の東京オリンピックの時は、陸上競技日本代表総監督。その翌年(1965年)早稲田大学教授に就任。その年、私が教育学部に入学。父から織田先生の噂は何度となく聞いていたので、入学早々、織田先生の授業を履修できないか探しました。教育学部では教科がなく、体育局の授業に「コーチ学」(織田幹雄担当)という講座がありました。それを履修するためには、早く並んだもの勝ち、先着順で決めるとのこと。私は、2時間前から体育局前広場に並び、頂いた番号札は「1」。

 「コーチ学」の授業が始まりました。私の席は一番前の一番端です。それは番号札を頂いた順。織田先生は当然私が誰よりも早くから、この授業を取るために並んだことは知っておられます。授業が始まりました。極東大会の話、オリンピックで金メダルをお取りになった話、皆ワクワクする話ばかりでした。

 そこで、今でも鮮明に記憶している言葉があります。それは「これからは、君たちの時代だ。世界で活躍しなさい。『英語』を学びなさい」でした。

 その授業の翌日、私は高田馬場駅横の「ロイヤル英会話学院」に入学。以前この日本協会事務所があったすぐ近くです。その4年後早稲田大学を卒業するや否や、ハワイへ留学。私にとっての国際化への第一歩でした。

 「世界を知る、若い世代は英語が大切」。48年前の織田先生のご講義でした。

 さて、その講義の成績は、全ての授業に出席し、試験も出来たのでしたが、頂いた成績は「可」。「可」は60点から69点までの点のことです。「ショック」でした。その授業を履修した多くの友達が「優」だというのに。私は織田先生には、父の名前を出すこともなく、黙々と一学生として「コーチ学」を学んでいたのに・・・。

 今でもこれ、笑いながら書いています。

 現在、私が学生に「世界を見よ、知ろう」という話をします。織田先生の影響を受けています。事実、現役の教授の時、早稲田大学ソフトボール部を19回アメリカに連れて行きました。世界一を2度、準優勝も1度獲得しました。その度に、学生は大きく成長します。ブラジルにも12年間欠かさず2名ずつの学生を送り、ブラジルの野球・ソフトボール連盟から感謝もされました。学生には「語学はしっかり学習しなさい、国際的に活躍するのはとても魅力的ですよ」と話します。

 このような信念があるので「日本式ティーボール」の国際化も皆さんと協力して普及活動に全力投球しているのです。

 先ほど、広島の榎本常務に電話しました。「榎本さんの出身高校は、県立広島国泰寺高校ですよね。そこは旧制県立広島第一中学ですね。榎本常務は、織田幹雄先生の後輩ですよね」と確認しました。榎本常務は誇らしそうに「そうですよ」。現在埼玉在住の重信理事も榎本常務とその高校で同級生。名門中の名門。高いプライドをお持ちです。当然ですね。

 その榎本常務曰く「織田さんの出身地は、海田です。そこに『織田記念館』が出来ています。今度広島に来たら、案内します」だって。ありがたいですね。広島に行く楽しみが増えます。そこに行くとまた思い出すかな。織田先生あの「可」はどうしてですかって。

 私は榎本常務に来月2月11日「関西小学生ティーボール大会」が徳島であります。翌日は「講習会」を開催します。そこで今後の「アジア大会」の話もします。お越しになりませんか、と提案すると即答「12日に行きます」だって。相変わらず、榎本常務の「決断と実行」はさすがですね。久しぶりで、織田先生関係で榎本常務とも楽しい話をさせて頂きました。榎本常務は、織田先生同様、国際派です。

 今日は、本日の天声人語から織田幹雄先生と父と広島を思い出しました。