11月15日 1976年発行(45年前)の「写真で見るソフトボール」の書籍から読み取れる「野球とソフトボールの歴史と本質」

 今日は、ベースボール型球技の歴史を学びましょう。「写真で見るソフトボール」(吉村正著・1976年発行)に、それを記述しました。45年前に書いた「本」です。

 「野球とソフトボールの歴史と本質」

1,古代からの球技。人類が生きて行くためには、石を投げ、枝木を振り回し、走ったりして、獲物を追ったことは容易に想像できます。これらの人類の運動基本動作「投げる」「捕える」「打つ」「走る」が、今日のソフトボール(ベースボール型)の基礎です。

2,クリケット。13世紀にイギリスで創作されたクリケットが、今日のソフトボールの起源です。この球技は、ボーラー(投手)とバッター(打者)がいて、ボーラーが投げたボールをウィケットに当たらないようにバッターが打つというもの。

3,スツールボール。1532年、イギリスでストボール、あるいはスツールボールという球技が生まれました。この球技は、守備側の選手が、3本足の床几(スツール)に向かってボールを投げると、床几の前に位置する攻撃側の選手によってそのボールは打たれ、その打たれたボールを他の守備側の選手が捕球するといったもの。

4,ラウンダース。クリケットやスツールボールが、大人たちの間で流行し始めると、子ども達もこれらの球技をまねて遊ぶようになりました。しかし、クリケットバットやボール、ウィケットやスツール等がなかなか子ども達の手に入らないので、彼らは簡単に棒とボールで遊べる球技を勝手に考案して楽しむようになりました。この球技がラウンダースでした。

 【18世紀、19世紀にはいると、イギリスの人たちは現在のアメリカへどんどん移入しました。スポーツも例外ではなく、前記の3球技もアメリカへ上陸しました。しかし、当時のアメリカは開拓精神が旺盛で、創造力が高かったため、イギリスからのスポーツをそのままの規則で行うことを各地の指導者は拒否しました。そこで、新たに改造された新球技が続々と生まれました。】

5、ベースボール。18世紀中ごろから、クリケットで使用するウイケットの代わりにベースを用いる球技がイギリスとアメリカで行われ始めました。ベースが使用されたボールゲーム、即ち現在の野球とソフトボールの原型である「ベース・ボール」が生まれました。

6,フォー・コーナーズ。ベースを置く球技、いわゆるベースボールが生まれると、このベースを2ヶ所(クリケットスタイル)から4ヶ所(ベースボールスタイル)に置き換える規則が生まれました。打者が長打を出すと4ヶ所のベースの角を回るため、フォー・コナーズという呼び名が付けられました。

7,フィーダー。フィーダーの投手の投球フォームは下手投げで、打者に対して打ちやすくトスをしていました。投手の後ろには、杭があり、それはクリケットではウィケット、ベースボールではベースの代わりをするものです。打者は打撃終了と同時に走者となり、この杭に触れて往復しました。

8,ワン・オールド・キャッツ。投手と打者以外に野手が1人いる時はワン・オールド・キャッツといい、2人(3人)の時はツー(スリー)・オールド・キャッツと呼びました。

9,タウンボール。1830年頃に塁間60フィート(今のソフトボールと同じ距離)でフォーコーナーのタウン・ボールが広く行われました。

 【タウン・ボールが考案されるまで、現在行われている野球とソフトボールは同じような過程で進化して来ました。しかし、よりボールを小さく、硬くして、打球を速く、遠くへ飛ばす欲求が選手に生じました。産業革命等でボールの加工技術も進歩し、現在の硬式野球のボールに近いものが生まれました。これが現在の野球へと発展していったのです。】

 【一方、今まで通り、ボールを大きく、柔らかく、手軽で、危険度が少ないベースを置いた球技は老若男女に最適で、各地でさまざまな呼び名でますます広まって行きました。】

10、プレイグラウンド・ボール。プレイグラウンド協会がプレイグラウンド(運動場の意)の施設を利用して、青少年や成人を対象に普及させました。同協会は充実した組織を持ち、施設と指導者に恵まれたので、この呼び名と球技はアメリカ各地に急速に広まりました。

11、インドア・ベースボール。1887年に、インドア・ベースボールがシカゴのファラガット・ボート・クラブでジョージ・ハンコックによって冗談半分に箒とボクシングのグローブを使って行われました。

12、ツワイライト・ソフトボール。これは仕事が終わった後に行われた球技であるため、ツワイライト(日没後の薄明り)という名で呼ばれ、シカゴ中心にアメリカ北東部で広く行われました。

13、キッツン・ボール。1900年、ローバーは消防夫の余暇スポーツとして、この球技を考案しました。この規則の内容が、少女たちでも行うことが可能であるためキッツン(おてんば娘)の名称が用いられました。

14、14インチのソフトボール。1907年頃、プレイグラウンド・ボールの小型版がシカゴの南部公園で行われました。この規則は、この公園の体操及び競技指導課長であるデグルートが考案しました。ボールは14インチ、塁間は35フィート、バッテリー間は30フィート、第2遊撃手を加えて10名で行われました。

15、ネービー・ボール。海軍の軍人たちによってプレーされた球技。※アーミー(陸軍)・ボールもありました。

16、レディ・ボール。女性たちに広く行われた球技。

17、ダイヤモンド・ボール。全ての塁間に線を引くと菱形(ダイヤモンド)となるために、この名が用いられた。

18、レクリエーションボール。ベースボールより危険度がなく、レクリエーション活動の一環として最適であるため、この名がつけられました。

 以上、5から18までの競技は概して野球のボールより球が大きく、したがって、遠くへ飛ばず、グラブを使わず、素手で受けられ、危険性が少なく、狭い場所で数多くの人たちが、同時に楽しめる、といった特色を持っていました。この球技を行った選手たちは、労働者、年配者、女性と幅の広い層でした。

 【1932年になると、センチュリー・オブ・プログレス新聞社によってこの球技の大会が開催されました。この大会まで、この球技をプレイグラウンド・ボールとか様々の名称で呼んでいましたが、この大会以降、「ソフトボール」と改称することに決定し、前述した多くの球技の名称統一の第一歩が踏み出されました。

 1933年、第1回全米ソフトボール選手権大会が開催、同時にアメリカ・アマチュア・ソフトボール協会が組織されました。

 1934年、ソフトボールの標準規則が、ソフトボール団体に協力した全米レクリエーション協会、YMCA、全米大学競技会、アメリカ体育協会からなるソフトボール規則合同委員会によって最終的に決められたのでした。(以後省略)】

 このような歴史の上で、野球とソフトボールは、発展してきました。従いまして、アメリカでは、当時は、ソフトボール人口は野球人口の5,6倍。ソフトボールの専用グラウンドも野球の6,7倍ありました。それを理解していただくと、昨日の学校や地域でのソフトボール場といった施設数の多いことに気が付かれるでしょう。

 以上のことを、1976年に「写真で見るソフトボール」に書きました。

 もうこれでお分かりですよね。「いつでも、どこでも、誰でも、楽しく出来る」ソフトボール人口が多ければ多いほど、競技としての野球はより発展するのです。現在の我が国は、野球とソフトボールは少し低い垣根があるように思われます。これを無くし、小学生や幼稚園児・保育園児・こども園園児に「日本式ティーボール」を広め、野球やソフトボールの裾野を広め、その楽しさを伝えようとしているのが、このNPO法人日本ティーボール協会です。

 今日は、アメリカの野球とソフトボールの歴史を紹介しました。そこから、それぞれの球技の特性、本質をもご理解くださると幸いです。