4月28日 日本ティーボール協会は野球・ソフトボールを考える「シンクタンクの集団」でもあります。と「学童野球」の記者に伝えました

 昨日、15時から18時ジャストまでの3時間、協会事務所において、ベースボールマガジン社編集局の大久保編集次長とスポーツライターの杉薗氏より取材を受けました。内容は「学童野球」と「日本式ティーボール」についてでした。大久保氏と杉薗氏の質問に対して私が回答するというものでした。

 今日は、お二人からの最初の質問とそれに対する私の回答のみを、皆さんに紹介します。それ以外のQ&Aについては、次回発行の「学童野球」03号をご覧ください。

 Q(最初の質問)なぜ1993年に日本ティーボール協会を創設したのですか。

 A(答)私は1975(昭和50)年に、早稲田大学体育局に主に「ソフトボールの研究と実践指導」をする教員として採用されました。故に、私はいつの日か「日本野球學會」「日本ソフトボール學會」あるいは「アジア野球學會」「アジアソフトボール學會」を創設しようと考えていました。日本野球・ソフトボール界の「シンクタンク」を。これは、学問ばかりに偏るのではなく、野球協会やソフトボール連盟とのいわば中間的な「學會・協会」を創設したかったのです。

 「日本ティーボール協会」を創設した時の、以下のメンバーをご覧くださるとそれは一目瞭然です。「野球・ソフトボール界のシンクタンク」になっています。多くの大学の教授、学校の先生方、野球の監督・ソフトボールの部長・監督が野球好きの医師等が賛同してくださいました。

 ☆最高顧問:小山宙丸(早稲田大学総長)、伊藤久雄(東京医科大学学長)、小野三嗣(慈恵会医科大学名誉教授)、岩根久雄(東京医科大学教授・WHO健康増進スポーツ医科学センター長)

 ☆顧問:竹内一樹(日本大学副総長)、片岡寛光(早稲田大学政経学部長・元野球部部長)、伊藤順三(早稲田大学体育局局長)、高島冽(日本体育大学同窓会会長)、中村隆俊(戸田中央医科グループ会長)、和田博夫(南多摩整形外科病院院長)、前田祐吉(元慶応義塾大学野球部監督)

 ☆参与:坂井正郎(国士館大学教授・ソフトボール部部長兼監督)、石井連蔵(早稲田大学野球部監督)、横川賢次(立教大学野球部監督)、渡辺静夫(東村山市教育長)

 ☆副会長:吉村正(早稲田大学教授・筆頭副会長)、岡村甫(東京大学教授・野球部長)

☆専務理事:丸山克俊(東京理科大学助教授・ソフトボール部部長兼監督)、末次義久(元済々黌高校野球部監督)

☆常務理事:安達正夫(八王子山王病院院長)、佐藤文宏(日本大学教授・ゴルフ部ヘッドコーチ)、小川幸三(日本体育大学助教授・ソフトボール部部長兼監督)、木村一郎(早稲田大学教授)、可部明克(三菱電機・後の早稲田大学教授)、その他

 ☆理事:田中恵(東京医科大学講師)、功刀靖雄(筑波大学教授・野球部監督)、千代田光俊(名古屋商科大学教授・ゴルフ部監督)、吉田勝光(野球・ソフトボール法学研究者・後の桐蔭横浜大学教授)、殿塚典彦(東京医大講師)

☆監事:壬生米秋(公認会計士)、有賀美典(公認会計士)、その他

 ☆評議員:吉野みね子(東京女子体育大学教授・ソフトボール部部長兼監督)、松永尚久(東海大学教授・ソフトボール部部長兼監督)、竹下俊文(竹下医院副院長)、小町征弘(東村山市学校教育部長・後の教育長)、代田常道(東京医大講師)、石川悦子(元日本女子大学教授)、河本洋子(青山学院大学助教授)、宮崎恵(駒沢女子短期大学専任講師)、大川一毅(成城大学講師。現岩手大学教授)、頼住道夫(厚木市立睦合中学校教諭・後の校長・現協会専務理事兼事務局長)、その他

 ☆医科学委員:5名(全員医師で野球好きの先生方)

☆研究委員:東大ソフトボール部OB、厚生省、運輸省、外務省、通産省(勤務先のみ紹介)、早稲田大学ソフトボールOB、三菱電機、現早稲田大学教授等。

☆国際委員:レス・ムラカミ(ハワイ大学野球部監督)安藤達夫(三菱化成)前橋明、ダグラス・スコット、坂野友昭、藤井章雄(以上早稲田大学教授)、その他

 以上が設立当初の役員の先生方です。(ティーボール入門初版より抜粋)

野球好きの教員・博士・研究者・医師たち、それに加え、ここでは記述しませんでしたが、野球・ソフトボール関連の協会・連盟・団体所属の方々が集まりました。

 「日本ティーボール協会」は、「日本式ティーボール」を小学生1・2・3・4年生並びに幼児に対して広く普及させることを最大の目標として位置づけ、小学校並びに幼児の教育課程への導入を目指してスタートしました。5年生以上に関しては、他に野球協会並びにソフトボール協会があるため、当時は対象としませんでした。しかし、障がいのある方々、並びに高齢者の皆さんに対しては、レクリエーション活動の一環として、最大限の普及に努力してきました、と答えました。

 また、私の研究テーマの一つは「国民皆ベース・ボールの研究」ですから、とも述べました。ベースボールを老若男女問わず、「いつでも、どこでも」出来るように用具の改良やルールの工夫等を行うこと。その最初の研究と実践は、日本において「スローピッチソフトボール」を普及させることでした。当時、ソフトボールと言えば、ピッチャーは出来るだけ速いボールを投げ、打者はそれを打つ、これが真のソフトボール(ファーストピッチ・ソフトボールのこと)で、投手が緩いボールのみを投げる「スローピッチソフトボール」は、ドシロトが行うもの、といった間違った風潮がありました、と説明しました。

 1977(昭和52)年には、小学校の体育から「ソフトボール」の授業が外れました。これについては、当時の文部省関係者によると、ソフトボールは投手が速いボールを投げるので、体育の授業中に活動しているのは投手と捕手と打者だけに見える。そのため、ソフトボールは体育の授業としてはふさわしくない、という答えでした。

 私はソフトボールが体育の授業から外れたとき、「10年後、20年後に、野球やソフトボールの衰退期が来ますよ」と言いましたが、野球・ソフトボールの関係者からほとんど相手にされませんでした、と述べました。

 それから私は「スローピッチソフトボール」の更なる普及に邁進しました。「スローピッチソフトボール」だと打者はどんどん打ちに行きます。ボールは内外野に頻繁に飛びます。これならソフトボールが投手と捕手と打者だけの競技とは言えません。これをあらゆるところ熱く語り、指導することにしました。

 当時、アメリカでは、当時スローピッチのソフトボール人口は1億2千万人ぐらいいて、その人たちが、メジャーや3Aの2Aの試合を観に行く、新聞を読む、テレビを観る、スポーツ・イラストレイテッドやUSAトゥデーを買って読む。その人たちがメジャーを、3A、2Aのプロ野球を支えているのですよ。その人たちは日常的に「スローピッチ・ソフトボール」をプレーしているのですよ、と言っても、多くの日本の野球・ソフトボール関係者は理解してくれませんでした。

 約20年後の1998年、学習指導要領の改訂により、小学校の現場でベースボール型ゲームが行えるようになりました。「ゲームの例」手やラケット、バットなどで打ったり、止まっているボールを打ったりするゲームと記述されました。

 「国民皆泳」を知っていますか。小学校と中学校のほとんど全てにプールを設置する。それができない場合は、近くの公園にプールを創る。そして、学校教育の中で、水泳を学ばせ、国民の全てが泳げるようにする。野球やソフトボールも同じです。小学校・中学校には校庭があります。そこで「ベースボール型の競技」=「日本式ティーボール」をする。これが野球・ソフトボールを救うことになるのです。

 これに関しては、「理事長からのメッセージ」でも度々書いてきました。

 昨日は、「学童野球」を指導される方、並びに学童の保護者の方々に、このことを改めて知ってもらいたいと思い、語らせていただきました。

 以上が、昨日の取材での、最初の質問に対する回答でした。報告いたします。