5月2日 町田瑠唯選手、ティボー監督、「ティボー・ルイ―」、加藤豪将選手。大いに期待します。応援します

 町田瑠唯選手が、この度アメリカWNBAのワシントン・ミスティックスと契約を完了し、先週早速試合に出場しました。町田選手は、皆さんご存知のように、2021年の東京オリンピックでは、全6試合中全てで先発出場、日本初のオリンピック準優勝に貢献し、オールスター5に選抜された選手です。オリンピックでは、1試合個人アシスト新記録を打ち立てたのも記憶に新しいところです。

 町田選手は、北海道旭川市出身、札幌山の手高等学校では、2010年主将として、インターハイ、国体、ウインターカップでそれぞれ優勝、3冠に輝いた実績の持ち主です。卒業後は富士通に入社、新人王に輝き、2014年、若手中心の日本代表に選出され、仁川アジア大会で銅メダル。2015年アジア選手権大会優勝。2016年リオデジャネイロオリンピックはベスト8。2017年FIBAアジアカップ優勝。2018年FIBAワールドカップ9位。2019年FIBAアジアカップ優勝。その時々で輝きまくった名選手です。

 私は、以前この欄でハワイ大学客員教授時代(1985・1986年)のハワイ大学で活躍した男子バスケットボールチームのフリーマン(ハワイ大-松下電器)を観て、バスケットボールの大ファンになったことを書きました。そのフリーマン以上の俊敏さで、ドリブルは桁外れに素晴らしく、スピーディーな動きはピカ一、そして、他の4人の選手の能力を見事なまでにも引き出す能力にも長けています。彼女のプレーを見たアメリカの金メダリストの一人は、「観ていて楽しい、一緒にプレーもしてみたい」、とまで言わしめたほどの世界的な名選手です。

 私が、この町田選手のファンになったのは、そのプレーに惚れ込んだことです。そしたらこの度のワシントン・ミスティックスとの契約でした。そのチームの監督な名前を、知っていますか。マイク・ティボーです。ティボ―が、ルイ・マチダ(瑠唯・町田)にオファーを出したのです。監督は、町田を称して、「ルイとの契約は、我々にとって非常に楽しみな契約です。彼女は世界でも最もダイナミックなポイントガードの一人であり、我々のプレースタイルにぴったりです。彼女は、オフェンスのテンポを押し上げ、トラジションでもハーフコートでもチームメイトに素晴らしい得点機を生み出してくれます」と述べています。

 「ティーボ監督がルイ選手」にこの褒め言葉。これは物凄いことです。この二人をカタカナで繋いでください。

 「ティーボ・ルイ―」=「ティーボール・イ―」です。

 親父ギャグを通り越したダジャレです。どうですか。二人を応援しませんか。先週のニュースで最も書きたいと思ったダジャレでした。

 次に、書き留めたかったのは、将来の日米野球界の架け橋になる青年。なって欲しいと思わせる選手。それはブルージェイズの加藤豪将選手です。苦節9年、彼が今年の春、初めてメジャーへ昇格しました。そして、27日のレッドソックス戦で左中間の二塁打です。チームメイトは彼の9年間の苦労を知っています。二塁ベース上にいる加藤選手に向かって拍手の嵐。加藤選手はブルージェイズに来てまだ日が浅いのに、チームの皆から好感を持たれているのが分かります。そしてその翌日は、8番一塁手で先発出場、おめでとうございます。

 まだまだこれからです。 ガンバレ! 加藤!

 加藤選手は、2013年私が北米ファーストピッチ・ソフトボール協会の殿堂入りした年に、彼はニューヨーク・ヤンキースにドラフト2巡目(全体の66位)で入団しました。その時から欠かさず彼の活躍をチェックしています。ルーキーリーグ、1A, 2A, そして確か7年目でようやく3Aに上がったと思います。私はマイナーリーグの選手の厳しさを少しばかり知っています。メジャーとは全くと言っていいほどの野球環境は悪いです。ハンバーガーリーグです。そこで多くの選手はハングリー精神を身に着け、上を目指すのです。脱落する選手がほとんどです。3Aになれば少しはましです。ハワイ州では3Aでハワイアイランダースというチームがありました。アロハ・スタジアムを本拠地とする良いチーム。日本のプロ野球と同等の力を有し、地元では人気はありました。

 さて、加藤選手がヤンキースの3Aに昇格した時は、確か日本ティーボール協会参与・人間科学部スコットダグラス教授のゼミの卒業生で、私の授業も履修したカナダの高校でアイスホッケー部にいた水原君が、バイリンガルで、ニューヨーク・ヤンキース並びにその3Aでスポーツマネジメントの専門家として勤務していました。彼は、松井秀喜選手がケガで3Aで調整していた時も、その世話をしていた職員です。加藤選手や水原氏は完璧なバイリンガル。このような人材が今後の野球界には必要です。

 60年、50年程前の日米の野球界で貢献した方というと、アメリカの日系野球リーグで活躍した方々、キャッピー・ハラダ氏(日米野球界の架け橋と言われた方)、マサオ・コイケ先生(ハワイ日系野球協会会長を40年近く務めた方)、アメリカのルールブックを見事に翻訳したオオダテ氏(平安高校OB・元毎日オリオンズ主軸打者)等、ハワイの野球界の方が大勢おられました。

 これからは、日本で活躍した方々にも日米野球界の架け橋になって欲しいのです。以前、洋書のベースボールブックを翻訳するのは、野球を知らない日本の翻訳家で、それを野球を熟知している人が監修・校閲するというものでした。これからの日米野球界は、通訳を入れずに対等にベースボール(野球)を語れる人が求められます。そのためには、加藤選手のようにアメリカの名門高校を優秀な成績で卒業し、誰からも好かれる性格、そしてメジャーリーガー。彼には、将来も野球界に残り、長く貢献してほしいですね。

 加藤選手は、ユーティリティプレイヤーですので、内野も外野もプレーできます。でも本職は二塁手です。私も1971年ハワイの日系野球リーグでは、二塁手でカールトン・半田(元南海ホークス―中日ドラゴンズ)と二遊間を組んでいました。また、ソフトボールでもアメリカ・オールスターの選手として帰国した1971年は、二塁手兼3番手の投手兼通訳でした。二塁手は、身体が少々小さくても、俊敏に動き、遊撃手とのコンビ・連携がスムーズであれば務まります。コミュニケーション能力も大切です。それらはこの加藤選手には、誰よりもあります。否、突出してグッドです。よって、将来の日米野球界の架け橋になって欲しのです。

 今後の町田瑠唯選手、並びに加藤豪将選手に大いに期待致します。今日のマンデーモーニング・クオーターバックはバスケットボールとベースボールでした。