5月22日「台湾編② 1990年スローピッチ・ソフトボールの普及に協力。そこに陳河東総裁(初代プロ野球コミッショナー)と徐熊良氏(初代アジアティーボール協会理事)の名前が。」

 1989年の冬、早稲田大学人間科学部の私の研究室に、台湾三商日本支店長の張斉東氏から、突然電話が入りました。内容は、「台湾でスローピッチ・ソフトボールを普及させたい、ついては、私に様々お願いしたい」というものでした。当時、私は、日本にファーストピッチ・ソフトボールのみならず、スローピッチも広く日本に普及させたいと考え、多くの新聞、雑誌、野球・ソフトボール関係の専門誌にそれを紹介していた頃でした。

 台湾からの話は、とても興味深いと判断し、私の共同研究者・実践者である東京理科大の丸山克俊先生に連絡を取り、彼と一緒に私の所沢の研究室で、台湾三商の張支店長の話を聞くことにしました。

 その時の記事が、翌年、1990年3月号のソフトボールマガジン(ベースボール・マガジン社)55ページ【アトランダム・トピックス】に写真入りで、以下のように紹介されました。

 見出しは、【台湾プロ野球オーナーが今度はスローピッチの普及に】

 内容は、「お隣の台湾から、早大の吉村正先生のもとに興味深い話があった。台湾では、昨年、4球団でプロ野球がスタートしたが、そのうちの1つ、三商タイガースを持つ、三商企業の陳河東総裁(社長)が、今度は台湾にスローピッチを普及しようというのだ。1年で200チーム、2年で500チームをつくり三商杯大会を行うというからスケールの大きな話。三商は、マーケットと外食産業のチェーン店、日本でいえば、ダイエー、イトーヨーカドーのような企業だ。台湾で4つの内1つのプロ野球球団を持つだけの大企業だと考えてもらえばいいだろう。

 手始めに現在、アメリカと日本でプレーの方法、ルールといった部分から大会運営、現状などの情報収集をすることになり、日本では三商の東京支店の張済東支店長がその任についた。

 その張氏が、日本(ソフトボール)協会を皮切りに、スローピッチについて訪ね歩いて、巡りついたのが吉村先生だったわけだ。吉村先生も協力を約束。1月中に資料を提供し、2月には大学(スローピッチ)ソフトボール研究会副会長の丸山克俊先生(東京理科大)とともに陳総裁と会談を持つ予定とのこと。

 張氏によれば、陳総裁は台湾スローピッチ推進委員会理事長とのことで、アメリカ遊学の経験が長く、14インチ、16インチのスローピッチの興味を持った。『台湾も外資を稼げるようになり、生活にも余裕ができてきました。これからは、一般の人がスポーツを楽しむ時代になる』と張氏はいっている。

 観て楽しむプロ野球、やって楽しむのはスローピッチ・ソフトボールというわけだ。大企業がソフトの普及に乗り出す。日本にとっては、ちょっぴりうらやましい話でもありますね。」でした。

 当時は、ソフトボールと言えば、日本では、ファーストピッチが主流、スローピッチというと、初心者が遊びで行うものと、ソフトボールの関係者は考えていました。スローピッチを真剣に研究・実践していたのは、東大、東京理科大、早稲田大学の3大学だけ(この3大学によって「大学スローピッチ・ソフトボール研究会が創設され、そこで今日の「日本式ティーボール」を誕生させたのです。このことは、この欄では、度々紹介しています)。

 このソフトボールマガジンの記事が掲載された4か月後の1990年6月6日に、次のようなファックスが張支店長より私の研究室に送られて来ました。

 早稲田大学人間科学部 吉村正 助教授

              三商行股分(人偏が入る)有限公司 張 斎東

 貴殿、益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。さて、先刻お電話でお話致しました手紙の翻訳文を送信致しますので、ご査収ください。

 張 支店長:

 お送り頂いた本と雑誌受け取りました。陳総裁に代わって、是非吉村先生にお礼申し上げてください。

 さて、早稲田大学スローピッチのソフトボールチームの訪台を、我社は大歓迎します。今年8月1日から15日まで、下記のとおり、スケジュールを組みましたので、先生からの返事をお待ちしております。

 8月1日 台北着  2日 台北交流試合(台北市立商業OB OR PTA TEAM) 3日 台北交流試合(東華合繊株式会社のチーム) 4日 新竹交流試合  5日台中交流試合 6,7日台南交流試合  8、9日高雄交流試合  10-11日 屏東観光  13日 花蓮交流試合 14日 花蓮観光 15日 帰国 

 追伸:お返事の宛名は、徐熊良

 え!【徐熊良】さん! この方が、20年後の2010年、アジアティーボール協会を創設する時、台湾のキーマンとなることは、その時、誰も分かりませんでした。

 この招待状を、陳総裁から頂いたにも関わらず、早稲田大学ソフトボール部は、この日程の直後に、全日本大学ソフトボール選手権大会が開催されるということで、この遠征を辞退せざるをえなかったのでした。今に思うと、残念な気がします。でも、それ以降、台湾は、何かあるごとにファーストピッチ・ソフトボールだけでなく、スローピッチ・ソフトボールに関して、相談に来られます。

 現在、台湾のソフトボールと言えば、そのほとんどがスローピッチ・ソフトボール。これらの関係連盟、協会、チーム、団体、スポンサー等が、年齢の低い子ども達に、日本式ティーボールを普及させているのです。

 現在、台湾の日本式ティーボールのボールは、年間20万個から30万個売れています。物凄い数です。この基礎を築いたのは、三商の陳河東総裁です。そのご子息が、陳翔立現会長。英語名ヘンリー・チェイン氏。初代アジアティーボール連盟副会長。その番頭さんが徐熊良氏。

 次回に続く。