6月23日「野球・ソフトボール法学の先駆者 吉田勝光先生ご活躍中です」

 一昨日、評議員の吉田勝光先生(桐蔭横浜大学名誉教授)から一冊の立派な本が事務局に届きました。そのタイトルは、「7人七色の人生体験」ー生き抜く知恵を読み取るー(発行所 日本地域社会研究所)というもの。すぐに読みました。吉田先生のNHKテレビ風に言うと「逆転人生」がそこには詳述されています。題目は「どんでん返し」。本文は、司法試験の論文試験に1980年合格、なのに口述試験に2年連続失敗。超レアケース。論文試験に合格したら、あとは口述試験のみ。実質上95%は司法試験に合格するはずですが・・・。

 司法試験勉強中の吉田君と私が出会ったのは、早稲田大学記念会堂横のテニスコートが3面ほどとれる狭いグラウンドでした。私がそこで、14インチのソフトボール授業を行っていた時「吉村先生!ウインドミル教えてください」とフェンスの外から大きな声。見たこともない人、学生か、社会人か分かりません。その人は丁寧に自己紹介をして、ソフトボールを教えてくれと言うのです。聞けば、近い将来弁護士になると言う。私は彼を教えることはとても光栄な事と思い、授業に出席をして貰う。また、同様に「ソフトボール同好会」の練習にも特別に参加して貰うことにしました。彼と話をすればするほど立派で、賢い人と分かってきました。出会いはラッキーでした。

 送付されてきた本の156ページからが吉田先生の執筆。「スポーツ専門雑誌への連載」「吉村正先生との出会い」「34歳で体育の授業に出る」「続いた連載の依頼」「後年のめぐりあわせ」と続いて書かれています。そうかあの時、彼が34歳、私は38歳だったのか。二人とも若かった。そして今日まで38年間のお付き合い。ありがたいです。

 私は、彼と出会った翌年の1985年、早稲田大学から1年間のサバティカルを頂き、第三の故郷ハワイに、ハワイ大学の客員教授として赴きました。そこで、野球部、ソフトボール部のコーチ。そこでの大きな収穫の一つは、これからの体育・スポーツ系の学問には、医学とスポーツ、法学とスポーツのドッキングが極めて重要であることを学びました。

 我々野球部とソフトボール部の横でフットボール(アメリカンフットボールのこと)部が練習していました。そこで次のような問題が起こりました。選手がフットボールの練習中に「ケガ」。「ケガ」をさせられた選手の両親は、ヘッドコーチ(監督)を相手取り、訴訟を起こしたのです。これはこの練習を行うと「ケガ」をする可能性があるよ。という説明がなかったことに対してです。この裁判、ヘッドコーチは負けました。ヘッドコーチには「ケガをする可能性があることを説明する義務」があったのです。この判決を聞いて、私はとても驚きました。大きな学びでした。アメリカは当時何かあると「スウユウ」と言ってきます。日本語で「あなたを訴えるぞー」です。20年後、30年後、この傾向は必ず日本でも起こり得るな。これが私の考えでした。「スポーツ法学」に目覚めた時でした。

 このような経験をした私は、帰国後、吉田先生が弁護士にならずに愛知県で法律専門職の地方公務員になられたのを聞き、私は彼にソフトボールや野球の裁判例を片っ端から引っ張り出して分析・考察してください、とお願いしました。まずは、ソフトボールマガジンの連載から。彼は快く引き受けて下さり、その後、ベースボールクリニックでも。それは、スポーツ界でとても斬新で「野球ソフトボール法学」の草分けで、見事なものでした。

 それから、7,8年たった1993年11月22日「日本ティーボール協会」を立ち上げた時、私は吉田さんに協会の理事になるようお願いしました。彼の当時のお仕事はティーボール入門によると(公務員、野球ソフトボール法学)となっています。それから、今日までの28年間この日本ティーボール協会の重鎮として、様々なご貢献を頂いています。特に4,5年間への全国レクリエーション大会岐阜大会では、永井さんともども見事な大会を開催してくださったのです。これは皆さんもご存じ通りです。先生は法律の専門家だけではありません。マネジメントもプロです。そういえば、大学では学科経営(マネジメント)が必要な学科長もお務めでした。

 吉田先生は今長野県松本市におられます。先ほど本が着いたことに対してのお礼の電話したら、とても元気そうでした。この度、日本ティーボール協会では、「コンプライアンス委員会」を創設することが先の総会で承認されました。この委員会では法律の専門家が必要です。その中心メンバーとして今後交渉する予定です。

 吉田先生「NO」と言わないでくださいね。38年のお付き合いですから。