7月26日 羽生結弦選手がプロに転向です。彼が私の「ソフトボール(スクーリング)」の授業を履修していたら・・・。

 先週のスポーツ界でのビッグニュースは何か?それは疑いもなく、フィギュアスケート男子で冬季オリンピック2連覇を果たした羽生結弦選手の現役引退の表明でしょう。その会見が、19日午後5時から行われましたが、私は協会事務所にいたため、テレビで観ることができませんでした。

 夜のニュースが凄かった。まずNHK9時のニュースウオッチ9では、羽生結弦選手が生出演、トップニュースで司会者とQ&A。そして、10時からの報道ステーションでも、またまた生出演、トップニュースでQ&A。NHKもテレビ朝日も、ウクライナ問題や新型コロナのニュースは後回し。如何に羽生結弦選手が、日本のみならず世界で高い人気を誇ったか、偉大な記録を残し続けたか、凄いアスリートか、容易に想像できます。

 翌日の新聞は、一般紙もスポーツ紙もトップニュース。そこで今日は、その時の見出しを新聞から拾ってみましょう。朝日新聞の一面トップは、羽生結弦選手の顔、そして見出しは「羽生 競技退く」「プロ転向4回転半なお意欲」「五輪連覇 紡いだ言葉の力」。15面・16面のスポーツ面も、羽生結弦選手一色です。15面には、羽生選手の顔が何と23か所、そして見出しは「純粋な夢 真っすぐ追いかけて」「前人未踏の大技 何度転んでも 羽生は跳んだ」「4アクセルを目指して」。16面は、「羽生会見」「2連覇した五輪生きている証」「平昌で引退しようと思っていた」「羽生結弦という存在は常に重荷」「なんでこんなにも世間の目を気にしなきゃ・・・」。31面の社会面では、「羽生あすも跳ぶ」「応援あるから、うまくなる」「魅了続けて」「また中国来て」「本社号外発行」。見出しを拾っただけでも、羽生結弦選手の桁違いの凄さがわかります。

 スポーツ紙はもっと凄いです。日刊スポーツは、羽生結弦選手全てが一面トップです。表紙も裏表紙も全てに、会見の一語一句を掲載しています。主だった見出しを拾ってみると、「アマからプロへの羽生の思い」「記者会見」「フィギュアスケートを全うできる幸せ」「『ここからがスタート』心から言える時」「羽生結弦って重たいって思っています」「これからも期待してやってください」。2面も3面も羽生結弦選手の記事が全てです。

 私にとって興味深い記事は、2面の「羽生結弦年表」。年表に中に、1994年12月宮城県仙台市に生まれる。2013年4月、世界選手権4位、同年、早大人間科学部(通信教育課程)入学、2020年9月早大卒業、とあります。

 私が早大人間科学部を退職したのが2016年3月ですから、羽生結弦選手と私は、同じ大学、同じ学部で3年間一緒にいたことになります。何か嬉しいです。これを書いていてもついつい笑顔になります。でも残念ながら、私は羽生結弦選手と大学のキャンパスで、一度も出会ったことはありません。羽生結弦選手は、私が担当する「健康福祉教育のゼミ」や「特別活動論」「福祉レクリエーション論」、それに「ソフトボール」の授業は選択してくれませんでした。

 残念、残念、また、残念!

 私は健康福祉科学科の教授。羽生結弦選手は情報科学科の学生だったと聞いています。学科が違ったのです。彼の在学中は、14年ソチ五輪金メダル。15年全日本選手権で29年振りの4連覇、16年世界選手権大会2位、17年世界選手権3年ぶり2度目の優勝、18年2月平昌オリンピックで66年振りの2連覇達成、同年7月に国民栄誉賞受賞。20年2月4大陸選手権を制し、男子初の主要国際6タイトルを完全制覇。7月国際スケート連盟スケーティング・アワード初代最優秀選手賞を受賞。

 その2か月後に卒業です。素晴らしい。通信制学生の「鏡」です。

 通信制の学生に対しては、一度も大学キャンパスに来なくても卒業できるというカリキュラムを私が現職の時、情報科学科の責任者が中心となって作り上げました。したがって、海外にいたままでも卒業できるというシステムです。しかし、学生は学生同士の交流、即ち、対面での話し合いを望みます。友達を作りたいのです。それを知っていた私は、「ソフトボール」の授業では、夏に必ずスクーリング(対面授業)を義務付けました。そうしたところ、アメリカやイギリスの受講生が帰国して、この授業を受けに来るのです。その授業では、ソフトボールのみならず、「日本式ティーボール」も全ての受講生にプレーさせます。そこではソフトボールの試合以上に「日本式ティーボール」が盛り上がりました。毎年、受講生は100名を超えていました。そのような訳で、私のソフトボール授業(スクーリング)の後は、夕刻、通信制のOB・OGが中心となって、現役学生との合同同窓会を開催するのが習慣でした。

 羽生結弦選手が「ソフトボール」の授業を履修していたら・・・。また、サプライズで出席でもしていたら・・・。 OB、OG、現役の学生、嬉しくて涙を流して喜んだのではないでしょうか。

 羽生結弦選手はその時、世界をかけて大活躍。このプランは「夏の夢物語」に終わりました。 

 今後の羽生結弦選手のプロとしての活躍、そして成功をお祈り致します。