8月15日 マウイ島の「山火事」(その2)。今日は終戦記念日。1分間の黙とうを捧げます

 8月11日、この欄でマウイ島の山火事について書きました。その時のCNNのニュースでは、「死者が53人。アメリカにおいて過去100年で2番目に多い惨事だった」と報じたと書きました。2日後13日の朝日新聞の一面見出しでは、「ハワイ山火事 死者80人に」と。そして、今日は「死者数は13日夜の時点で96人」とあります。どんどん増えます。心配です。

 更に、今日のヤフーニュースでは、「ハワイ州のグリーン知事は、BBCが提携する米CBSニュースで、死者の総数がわかるには最長で10日になると説明。行方不明者は約1300人。目の前に広がるのは完全な壊滅状態だけと発言した」と報じています。加えて、「ラハイナの住民1万2000人について、おそらくみんな避難し、さもなければ火災で死亡しただろうとした」とも。大惨事です。

 私は、11日マウイ島の山火事について、文字通り「山のみの火事」と理解して、シルバーソード、広いお庭の所有者の泉さん、その親友の榎本喜八さん、友人で恩人のチャーリー・イワモトさんについて、書きました。このタイミングで、昔話を書いてしまったこと、この一週間、とても考えました。本当にあれで良かったのか、とです。

 私の人生の恩人ハワイのマサオ・コイケ先生の兄上が、50年ほど前、このマウイ島のラジオ日本語放送の責任者であり、アナウンサーであり、編集者でもありました。見事な日本語で、私に当時の日本のこと、早稲田大学のこと、野球やソフトボールについて質問をされたこと、思い出されます。もし兄上がご存命であれば、日本語放送でどのようにこの惨状を表現されるただろうか、と。

 同じく50年ほど前のマウイのプエルトリコ系の野球・ソフトボールチームは、皆大柄で、打撃では力強いスイングをしてきたのを思い出します。彼らの子どもや孫は元気だろうか、とても心配です。マウイ島には、日系人も多く住んでいました。その子孫たちは、この「山火事」で・・・、心配です。マウイ島からオアフ島のハワイ大学マノア本校に学びに来ていた学生たちもたくさんいました。皆勤勉で、ラハイナの街、古い町を誇りに思っていました。大丈夫だろうか?

 私にとって第二の故郷は、間違いなくハワイです。1300人の行方不明者、本当に心配です。全員の無事をただただ祈るばかりです。

 今日は8月15日。終戦から78年。私はその終戦の年に生まれたものですから、今年で78歳になります。人間の「命の尊さ」を真剣に考える日々が続きます。

 今日は、この「理事長からのメッセージ」を書き終えて、1分間の黙とうを捧げます。