9月14日「藤井聡太三冠おめでとうございます! 私が出場した京都西陣警察署主催小学生将棋大会を思い出しました」

  昨日は新聞休刊日。今日の多くの新聞の一面トップは、藤井聡太棋聖=王位が「第6期叡王戦五番勝負」の第5局で、豊島将之叡王=竜王を破り、対戦成績3勝2敗で3冠目のタイトル「叡王」を獲得した記事です。

 藤井聡太三冠は歴代最年少で(19歳1ヵ月)で達成。これまでの最年少記録は、羽生善治九段が1993年に達成した22歳3か月で、これを28年振りで更新しました。この10月には、三度目の対決、藤井対豊島の竜王戦が始まります。楽しみです。

 現在将棋界では、八大タイトルがあります。それは、渡辺明三冠が保持する名人、棋王、王将、永瀬拓矢の王座、豊島の竜王、それに藤井が獲得した棋聖、叡王、王位です。その様な訳でこの10月からの竜王戦七番勝負では、藤井三冠が豊島竜王に挑むのです。藤井の四冠なるかどうかまたまた将棋が注目されます。

 私は、小学生の頃家庭で将棋をよく差しました。父が自称「いなか五段」この「いなか」は父の出身県である「栃木での五段」でしょうか。東京に出て木村名人と将棋を指したことがあると言っていつも自慢していました。その対戦した時は、木村名人が静かにご自分の飛車と角を将棋盤から外したようです。いわゆる飛車角抜きで対戦させられたということ。それでも父は木村名人に勝てなかったと言っていました。当時は将棋と相撲はプロとアマチュアに差があまりにもあり過ぎるというのが一般的な常識でした。10歳上の兄が父の影響を受けてか京都の西陣地区では強かったのです。その兄は私に「金矢倉」は金銀2枚を三段目に押し上げて配置するんや。とか「中飛車」は、角みちを開けたまま5筋に振るんや等いろいろ教えてくれた記憶があります。そんな訳で、私も小学生としては少しばかり強かったのです。

 そんな時、京都西陣警察署の中で、西陣署署長杯小学生将棋大会が開催されました。私は母校の正親小学校を代表して、西陣署(警察署)の中の大広間で将棋を指したのです。いやあ!小学生でも警察の中での大会は、結構緊張しましたね。びっくりしたのを覚えています。私は、2回戦か、3回戦で簡単に負けました。弱かったせいか、当時は将棋はあまり面白いと思いませんでした。当時はこの「本将棋」よりも、「王様囲い」とか「歩回り」と言いましたかね。そんな本将棋とは違った将棋の遊びで楽しんだ記憶もあります。勿論「いなか五段」の父は強すぎて一度もお相手させてもらえませんでした。京都の自宅には、今もってその立派な将棋盤と将棋の駒があります。思い出しますね。

 さて、私は将棋をしない時には何をしたか? そうです。「タイコベース」いわゆる「タイベン」です。今の「メジャーリーグゲーム」です。この「簡易ソフトボール」、「簡易ベースボール」が本当に楽しかったのです。将棋よりはるかに楽しい「ベースボール型球技」=「メジャーリーグゲーム」。この遊びを堪能していました。

 ちょうど「タイコベース」を堪能していた頃、京都府の奈良県に近い城南地区から将棋の天才高校生棋士がすい星の如く現れました。今で言えば愛知県瀬戸市の藤井三冠のように。その方誰かわかりますか、それは今のお茶の間で「ひふみん」でおなじみの加藤一二三(九段)さんです。私も少し将棋が指せるということで、私はその頃から彼の大ファン。今日の日刊スポーツの一面に彼のコメントが掲載されていました「大きかった振りごまの先手」私はこの意味全く分かりませんが、加藤一二三さんが今もってお元気でご活躍されているのが一オールドファンとして嬉しいです。

 今日は、藤井聡太三冠の快挙を祝福すると同時に、私の小学生の時出場した西陣警察署の将棋大会を思い出しました。同郷の先輩加藤一二三九段は、もう60年数年前からのファンですが、私はやっぱり将棋よりも野球・ソフトボール・ティーボールですね。